1995年版を考察
◆1995年
枚数は、162枚。昨年より少しだけ増えた。この年は、野球チップスではなく、ポップコーンにカードが張り付いていた。で、一番の大きな変化は、カルビー(表記は、Calbee)で、カードが発売されなかった。TOKYO
SNACH という関連会社での発売となったことだ。これは、翌年の1996年まで続くこととなる。
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◆球団別選手数調査
@巨人 (18枚)11.11%
A中日 (16枚)09.88%
Aヤクルト (15枚)09.26%
A阪神 (15枚)09.26%
A西武 (15枚)09.26%
A広島 (15枚)09.26%
F横浜 (13枚)08.02%
F近鉄 (13枚)08.02%
Fダイエー (13枚)08.02%
I日ハム (12枚)07.41%
Iオリックス(12枚)07.41%
Kロッテ ( 5枚)03.09%
◆1995年のデザイン
表紙の名前の表記が派手になった。裏面は特に変化はなし。
左から
bP 今中慎二(中日) (裏面)
bQ 山本昌広(中日)
◆発行時期
おそらく、@bP〜36、AbR7〜162 と2つの時期があったんだと思う。
@bP〜36
左から
bP9 松井秀喜(巨人)
bR3 イチロー(オリックス)
bV2 新庄剛志(阪神)
AbR7〜162
左から
bP55 長谷川滋利(オリックス)
bP10 藪 恵壹(阪神)
bP61 カズ山本(ダイエー)
◆1995年シーズンを振り返って
ヤクルトが強かった。前評判はいまいちだったが、阪神から移籍してきたオマリーが4番で打ちに打った。開幕戦は敗戦。しかし、2戦目に奇跡が起きた。完投勝ち目前の桑田が、飯田(ヤクルト)に死球デットボールで退場。準備のできていない投手がでてきたもんだから、ここからヤクルトの逆転勝ちに。この開幕3連戦を2勝1敗で乗り切ったヤクルトが、その勢いのまま優勝したという感じであった。
日本シリーズの相手は、イチローのいるオリックス。私は第4戦を神宮球場で観戦した。日本シリーズを観戦するのは人生初。小林宏がオマリーに投じた14球や、イチローの背面キャッチ。すべて、みることができたっけ。結局、終電に間に合わず、私と友人は小田原駅で野宿(野宿も考えてみれば、この時が人生初)。でも、若さと達成感で体力は回復し、翌日の講義は遅れずにきちっと受講したっけ。
◆1995年版カード収集について
@の時期は、結構購入していたんだが、Aの時期は静岡では売ってなかったんじゃないかな?
11年にコンプ。
◆その他のトピックス
1995年ファーストカードを追え
1995年の出現カード数
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