プロ野球カードを語る


読売ジャイアンツ

 1973年のbPの長嶋茂雄のカード。今は、簡単にインターネットオークションで入手できるのだが、1980年〜90年ぐらいには、どうやって手に入れるのだろうと、真剣に悩んだものだ。
 2012年7月、小俣(78年)を入手して、全選手を手に入れることができた。また、ファーストカードについても、同時期に矢沢を入手したのでこちらも終了。

◆チーム名称の変遷
大日本東京野球倶楽部(1934年)
東京巨人軍(1935年 - 1946年)
読売ジャイアンツ(1947年 - 現在)

◆年代別考察とカード化された選手について
1973年(
長島茂雄、王貞治堀内恒夫高橋一三柴田勲、高田繁、土井正三、森昌彦、吉田孝司、黒江透修、関本四十四、菅原勝矢、柳田俊郎、末次利光、阿野鉱二、上田武司、倉田誠、富田勝滝安治)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆1 長島茂雄
巨人(58〜74)
2186試合 2471安打 444本塁打 1522打点 190盗塁 打率.305
首位打者6回 本塁打王2回 打点王5回 最多安打10回 MVP5回 新人王
ベストナイン17回 ゴールデングラブ賞2回 日本シリーズMVP4回 野球殿堂入り
オールスター16回
▽ミスタージャイアンツ。ミスタープロ野球。彼が野球界に与えた影響は計り知れない。
 私は、現役時代を知らないが、1年に数回は、彼の現役時代のバッティングや現役引退セレモニーの映像を見る。現在は、ジャイアンツの名誉監督。私の記憶にある一番古い長嶋茂雄といえば、監督を解任されてから、オリンピックや世界陸上の解説で、活躍されていたもの。カールルイスに「ヘイ! カール」って呼びかけていた。それから、大洋やヤクルトの監督に就任かってい
うニュースがスポーツ新聞を賑わしていたことも、あったっけ。


左から
73年 bP(ファーストカード)
73年 bR(旗版A)
73年 bR(旗版B)

◆2 王貞治
巨人(59〜80)

2831試合 9250試合 2786安打 868本 2170打点 84盗塁 打率.301
三冠王2回、首位打者5回、本塁打王15回、打点王13回、最多出塁数12回、最多安打(当時連盟表彰なし)3回、最多得点15回 
MVP9回、ベストナイン18回、ダイヤモンドグラブ賞9回、オールスターゲームMVP3回、正力松太郎賞4回、日本シリーズ最優秀選手賞1回、日本シリーズ打撃賞1回、日本シリーズ技能賞6回、月間MVP1回、野球殿堂入り
▽引退する頃の記憶は少しある。引退後、巨人に残り、助監督、監督を経験するが、成績はいまひとつ(3位、3位、2位、1位、2位)。95年ダイエー監督に就任。さまざまな苦労があったが、99年、2000年とパリーグ連覇。
 ダイエーキャンプではいつも報道陣に囲まれていた。僕がはじめて王監督に会ったのは、98年春の高知キャンプ(高知市営球場)。その時は観客もまばらで、気軽に選手に声をかけたり、一緒に並んで写真を撮ったりと、こんなにプロ野球選手が身近に感じられるとは思ってもみなかった。もちろん全選手がファンからの色紙やカードに丁寧にサインをしていた。
 2003年見事に日本一。これでダイエー監督に就任してからは、5位、6位、5位、3位、1位、1位、2位、2位、1位、2位、2位、3位、3位、6位。
 2003年は、若手投手力の勝利。開幕投手の斉藤を筆頭に、新人の和田、新垣に、寺原、杉内と豪華先発陣。打撃陣に目を移せば、小久保のケガ(のち巨人に無償トレード)はあったが、村松、川ア、井口、松中、バルデス、城島、ズレータ、大道、鳥越…、と強力打線が爆発した。2004年は目立った大きな補強はなかったが、それでもダントツの優勝候補であろう。
 05、06年はシーズン成績1位ながらプレーオフで敗れている。
 サインは98年と99年に春季キャンプ中の高
知東部球場前でもらった。


左から
73年 bV(ファーストカード)
73年 bW
73年 bX

◆3 堀内恒夫
巨人(66@〜83)
560試合 203勝 139敗 6S 防御率3.27
新人王、最優秀選手2回、沢村賞2回、ベストナイン2回、ダイヤモンドグラブ賞7回、MVP1回、日本シリーズMVP2回、日本シリーズ最優秀投手賞4回、野球殿堂入り
新人の開幕連勝13、ノーヒットノーラン1回、投手の1試合3本塁打、シーズン勝率.889(セ記録)
日本シリーズ記録…通産登板試合27、通算投球回数140 1/3、通算勝利11、通算与四球61、投手の1試合2本塁打(史上唯一)
オールスターゲーム出場9回、通算防御率1.44(20イニング以上で歴代1位)

▽04年、05年とジャイアンツの監督。通算203勝を記録。V9にも貢献したジャイアンツのエース。現役時代は「悪太郎」って呼ばれていた。桑田の前に背番号18を付けていたのは彼だった。私の記憶では、選手生活終盤の頃だけ少しある。あんまり投げる機会がないのになぜ1軍にいるんだろうって思っていたんだけど、実はコーチ兼任だったんだなって後で気づいた。バッティングもよく、プロ生活最終打席では本塁打を記録している。
 投手コーチ時代に(多分)桑田のデッドボールに怒ったブラッグスに何故か堀内がユニフォームを破られてメガネを壊された。

左から
73年 bP3(ファーストカード)
73年 bP4
73年 bP5

◆4 高橋一三
巨人(65〜75)−日ハム(76〜83)
595試合 167勝 132敗 12S 防御率3.18
最高勝率1回、最多勝1回、最多奪三振(当時連盟表彰なし)1回 、沢村賞2回 、ベストナイン2回  、最優秀投手2回 、日本シリーズ最優秀投手賞1回  、パ・リーグプレーオフ優秀選手賞1回 、オールスターゲーム出場6回

▽通算167勝の大投手。V9にも貢献。沢村賞2回、最多勝1回。申し分のない成績を上げていながら、張本とのトレードでジャイアンツを去ることになった巨人のエース。私の記憶にあるのは日ハム時代。特に、81年は、14勝を記録し、見事復活した。長嶋監督は、2回目の監督のときもそうだったが、欲しい打者がいると、なりふり構わず獲りに行く傾向がある。でも、この高橋一にしろ、新浦にしろ、追い出したチームを見返してやろうという強い意志が働いたためか、ジャイアンツを退団してからも長く現役を続けることができたのではないだろうか。
 ファミスタでV9チームがあって、そこに登場したときは嬉しかった。


左から
73年 bP6(ファーストカード)
73年 bP7
73年 bS3

◆5 柴田勲
巨人(62〜81)
[投手]6試合0勝2敗0S防御率9.82[野手]2208試合 2018安打 194本 
708打点 579盗塁 打率.267
盗塁王6回、ベストナイン4回、 ダイヤモンドグラブ賞5回、日本シリーズ1回、日本シリーズ敢闘賞1回、日本シリーズ打撃賞:2回、日本シリーズ優秀選手賞1回、オールスターゲームMVP1回、オールスターゲーム出場12回、 通算1000試合出場(150人目)

▽赤い手袋着用のカードを探したけど、良いのがなかったので、左右両打席のカードを掲載することにした。V9時代に活躍した1番バッター。
 彼の現役時代は記憶にあるぞ。長嶋監督のとき、その年はあまり試合に出ていなかったけど、2000本安打を達成。藤田監督のときには、コーチ兼任。81年に引退した。
 ニッポン放送での解説でも活躍していた。その後、ラジオ日本に移籍。東京ドームの解説の時には、煙草とトイレ休憩で、観客席通路ま
で出てきたところで、よくサインを書いている。


左から
73年 bP8(ファーストカード)
73年 bP9
73年 bQ0

◆6 高田繁
巨人(68〜80)
1512試合 1384安打 139本 499打点 200盗塁 打率.273
盗塁王1回、新人王、 ベストナイン4回、 ダイヤモンドグラブ賞6回 (外野手として72年〜 75年の4回、三塁手として76年〜77年の2回。外野手・内野手の双方での受賞は史上初、外野手→内野手の順での受賞は史上唯一) 、日本シリーズMVP1回 (68年、新人選手の受賞は60年の近藤昭仁に続く2人目) 、日本シリーズ技能賞1回、 日本シリーズ優秀選手賞1回 、オールスターゲーム出場8回、1試合6安打 (セ・リーグタイ記録) 、通算1000試合出場(史上185人目)
▽現役時代の記憶はないが、日ハムの監督をしていたときの記憶はある。監督4年、うち、3位が2回。その後、巨人に戻りコーチ、2軍監督を歴任。その後、再び日ハムへ。近年は、フロントで活躍していた。千葉マリンや西武ドームでも彼を見かけた。入団時は外野手、長嶋の引退後は三塁手として活躍。内野でも外野でも、ゴールデングラブ賞を獲得している。
 私が大好きな歌手・グレープの『朝刊』という歌で、登場しているぞ。『高田の背番号も知らないくせに…』。
 08年、ヤクルト監督に就任。サインは07年9月、千葉マリンスタジアムでもらった。このときは、まさか、ヤクルトの監督になるなんて…。08年開幕の神宮ではジャイアンツ相手に3連勝。私としては、もうこれで満足。村中、増渕といった若手の先発起用、押本、萩原の中継ぎの補強、ストッパーに林(イム)を抜擢など、投手陣の整備をした手腕は素晴らしい。
 シーズン途中に解任されたことは、残念。
 2012年から横浜でゼネラルマネージャーとなる。


左から
73年 bQ1(ファーストカード)
73年 bQ2
73年 bR5

◆7 土井正三
巨人(65〜80)

1586試合 5502打数 1275安打 65本 425打点 135盗塁 打率.263
ベストナイン2回 、ダイヤモンドグラブ賞1回 、オールスターゲーム出場4回、通算1000試合出場(165人目)
▽ジャイアンツV9戦士のひとり。名二塁手として活躍。ジャイアンツ時代の実績を引っさげて、91年オリックス監督に就任。3年間で3位、3位、3位。Aクラス3年で契約更新がなかったのには、少し驚いた。
 また、その後、すぐにジャイアンツのコーチに戻ったので、それにも驚いた。世間からは、イチローを見出せなかった男として、また、パンチ佐藤に、いろいろ言われたりして、ダーティーなイメージがついてしまったかもしれないが、それで野球人を判断してはいけない。それは監督としてはよくあること。ジャイアンツのコーチ就任時には、温かく迎えられたのだろう。


左から
73年 bQ3(ファーストカード)
73年 bQ4
73年 bR4

◆8 森昌彦
巨人(55〜74)

1884試合 1341安打 81本 582打点 29盗塁 打率.236
ベストナイン8回、日本シリーズMVP1回、 日本シリーズ打撃賞1回、 正力松太郎賞2回、 野球殿堂入り、オールスターゲーム出場11回、 通算1000試合出場(109人目)
▽巨人V9時代の正捕手。しかし、私が記憶にあるのは、西武ライオンズの監督をしていたときから。ライオンズの監督時代は強さばかりが目立ち、嫌われたりもしたな。広岡監督の後の西武ライオンズ黄金期を作った。石毛をチームリーダーに育て、清原を4番に抜擢したのも、みんな彼がやったのだ。その後、解説者になったが、今度は横浜の監督に就任。このときは、2年で解任。私はもう一度、どこかで監督をしてもらいたいと思っている。

左から
73年 bQ5(ファーストカード)
73年 bQ6
73年 bS9

◆9 吉田孝司
巨人(65〜84)

954試合 476安打 42本 199打点 3盗塁 打率.235
オールスターゲームMVP1回、オールスターゲーム出場2回
▽巨人一筋の野球人生。V9戦士の一人として、コーチ業も長い。地味ながらもオールスターに2回選出されている。川上監督の頃から控えだったが、長嶋監督時代に正捕手になった。私の一番古い記憶では、山倉の控えとして毎試合ベンチ入りしていたことかな。

左から
73年 bQ7(ファーストカード)
73年 bT0
73年 bP83

◆10 黒江透修
巨人(64〜74)

1135試合 923安打 57本 371打点 127盗塁 打率.265
ベストナイン1回、日本シリーズ優秀選手賞:2回、オールスターゲーム出場6回、通算1000試合出場(167人目)
▽64年に巨人に入団。ジャイアンツV9戦士。堅実な遊撃手として活躍した。74年に現役を引退。巨人、中日、西武、ロッテ、ダイエー、横浜でコーチを歴任。名参謀として、各チームの監督に仕えた。
 特にダイエー時代は王監督を支え、リーグ制覇、日本一の貢献。
 2002年には、シーズン途中で解任された横浜・森祇晶監督の
代行を務めた。

 2010年には、「立ち上がれ日本」の選挙応援演説をしていたぞ。池袋駅前で遭遇したんで、急いでサインをもらって記念撮影もしてもらった。誰を応援していたかは、どうでもよかったし、もう忘れてしまったっけ。


左から
73年 bQ8(ファーストカード)
73年 bS0
73年 bP76

◆11 関本四十四
巨人(68I〜75)太平洋(76)−大洋(77〜78)
166試合 27勝 41敗 1S 防御率3.14
最優秀防御率1回、新人王、オールスターゲーム出場1回
▽ラジオ日本の解説者。ズバズバと若手に厳しい解説には、ときどき驚いてしまうが、ジャイアンツへの熱い思いを表しているのだろう。
 入団は68年にジャイアンツ。4年目に10勝をあげ、新人王を獲得している。しかし、その後はあまり活躍できず、76年には太平洋、77年には大洋へ移籍。通算27勝の短くて太い現役生活だった。


左から
73年 bQ9(ファーストカード)
73年 bR0
73年 bP80

◆12 菅原勝矢
巨人(65〜73)
127試合 33勝 8敗 0S 防御率2.98
オールスターゲーム出場1回
▽V9戦士の一人で、私は現役時代を知らない。67年には1球勝利投手にもなる。二ケタ勝利も記録している。プロ野球カードの裏面を見ると、後楽園球場(本拠地)に強く、勝率も良いピッチャーで、貴重な存在であるっていうようなことが書かれている。

左から
73年 bR1(ファーストカード)
73年 bR2

◆13 柳田俊郎
西鉄(67〜68)−巨人(69〜79)−阪急(80)−
巨人(81〜82)
1079試合 649試合 99本 344打点 48盗塁 打率.282
月間MVP1回通算1000試合出場(222人目)

▽最強の5番打者「マムシ」のニックネームで活躍。あまりにも長嶋監督に重宝され、起用されたためか、後年、巨人の現役選手であった清水は、長嶋監督によく、この柳田と間違えられていたとか。ベンチに座っている清水を見て、「代打行くぞ 柳田!!」って監督が言っても、清水は立ち上がらなかったって話を元巨人の選手が話していたっけ。
 巨人に移籍して、3年目の71年頃から1軍に定着し、77年には五番打者として打率.340(リーグ3位)を記録した。
 それから、私の住んでいる町のレコードショップ(CDではなく、レコードです)には、彼のレコードが壁に張ってあって、すごい高値で売っていたっけ。タイトルは『行け 柳田』
 それから、私がラジオを良く聞いていた頃、『ミュージックブルペン』のパーソナリティーを務めていた。SBSで野球中継を聞いた後は彼の声を聞いていた。演歌歌手に転進し、"ハッピー&
ブルー"の一員としても活躍。


左から
73年 bR3(ファーストカード)
73年 bP78

◆14 末次利光
巨人(65〜77)
1214試合 895安打 107本 456打点 42盗塁 打率.269
日本シリーズMVP1回、日本シリーズ打撃賞2回、日本シリーズ技能賞1回、ベストナイン1回、オールスターゲーム出場5回、通算1000試合出場(180人目)

▽65年に巨人に入団、70年頃からレギュラーとして定着する。71年に日本シリーズMVP、74年には打率3割1分6厘でベストテン4位に入り、ベストナインを獲得する。 しかし、77年3月、オープン戦前の練習で他の選手の打球を左目に受けてしまい、その影響から、同年シーズン終了後に引退。
 現役引退後は、二軍打撃コーチ、一軍守備走塁コーチ、二軍監
督等を歴任。その後、フロント入り。


左から
73年 bR7(ファーストカード)写真向かって右端
73年 bS1
73年 bS6

◆15 阿野鉱二
巨人(70A〜76)
89試合 33安打 5本 14打点 1盗塁 打率.223
▽現役時代のことはもちろんのこと、彼のことを知っていることは一つもない。控え捕手だったんだろうし、森の控えは吉田、さらにその控えだから出場記録を見ても、さびしい感じ。
 現在は建設業スチールエンジ株式会社取締役会長。なお、同社はデビュー3年目の1991年、初先発で野村ID野球を封じ、2試合連続完投勝利を挙げたことからヤクルトキラーと呼ばれた松谷竜二郎が代表取締役社長を務めている。


73年 bP86(ファーストカード)

◆16 上田武司
巨人(64〜78)
616試合 215安打 15本 89打点 20盗塁 打率.223
▽現役時代の記憶はまったく無い。私が気になっていたのは、ファミスタ92年版で“うえた”という選手がビクトリーチームで登場するが、それがこの彼ではないかと思っている(当時のファミスタは、実名で選手を紹介できず、濁点を除いた名前や、ニックネームでの登場が普通であった)
ほとんど起用したことはなかったけれどね

左から 
73年 bR59(ファーストカード)
74年 bQ4


◆17 倉田誠
巨人(65〜76)ヤクルト(77〜80)
374試合 55勝 37敗 13S 防御率3.36
最高勝率(当時連盟表彰なし)1回
▽入団はジャイアンツ。その後、ヤクルト・浅野とのトレードで、ヤクルトスワローズへ。選手時代の記憶はない。引退後、ジャイアンツのフロントで活躍中。たまに、テレビにも映ることがある。成績といえば、73年の18勝が最高。その年には、最高勝率投手にもなった。

左から
73年 bR60(ファーストカード)
75年 bQ68

◆18 富田勝

南海(69@〜72)−巨人(73〜75)−日ハム(76〜80)−中日(81〜82)
1303試合 1087安打 107本塁打 451打点 126盗塁 打率.270

左から
73年 bR64(ファーストカード)
75年 bV31

◆19 滝安治
巨人(64〜73)
456試合 126安打 15本塁打 55打点 10盗塁 打率.189
▽カードの裏面に“滝選手”とあるが、実際には、左端になってしまって切れているのではないだろうか。ファミスタ92にも控え選手として登場。

73年 bR65(ファーストカード)

1974年(玉井信博小林繁新浦寿夫河埜和正須藤豊川上哲治)〜〜〜〜〜〜〜〜

◆20 玉井信博
巨人(73F〜75)
−太平洋・クラウン・西武(76〜80)
103試合 13勝 31敗 0S 防御率4.33
▽現役時代も、引退後も良くわからない。現役引退後は、打撃投手、現在はスコアラーということらしい。


74年 bP66(ファーストカード)

◆21 
林繁
巨人(72E〜78)−阪神(79〜83)
374試合 139勝 95敗 17S 防御率3.18
最多勝1回、最優秀投手2回、沢村賞2回、ベストナイン2回、月間MVP1回、オールスターゲーム出場7回、日本シリーズ登板試合6(シリーズタイ記録)、日本シリーズ連続無走者23(当時。現在は山井大介の24)
▽72年にドラフト6位でジャイアンツに指名されるも1年遅れて入団。2年目の74年に8勝をあげ、堀内・高橋(一)の後継者として頭角を現す。低い重心の独特のフォームから鋭い変化球で打者を詰まらせるアンダースロー投手として活躍した。76年から2年連続で18勝を挙げ、エース投手として優勝に貢献した。
 78年11月に起きた「空白の一日」事件の犠牲となる形で79年2月に阪神タイガースに移籍。
 移籍1年目は22勝で最多勝、古巣・巨人に対しては8勝0敗。巨人時代の76年から引退する83年まで8年連続で2桁勝利を記録した。
 83年には13勝14敗を記録したが、突然の引退。引退後はTBS、ABC等で野球解説者を務めた。
 97年から01年まで近鉄の投手コーチを務める。ジャイアンツ、タイガースでそれぞれ1回ずつ沢村賞を受賞。サヨナラ暴投は、もう20年以上も昔のことかぁ。
 2010年より北海道日本ハムファイターズ一軍投手コーチに昇格し、新シーズンへ向けて準備を進めていたが、キャンプインを2週間後に控えた1月17日、心筋梗塞による心不全で死去した。享年57歳。

左から
74年 bP70(ファーストカード)
76年 bT41
76年 bU06

◆22 浦寿夫
巨人(68外〜83)−大洋(87〜91)−ダイエー(92)−ヤクルト(92途)
592試合 116勝 123敗 39S 防御率3.45
最優秀防御率2回、最優秀救援投手1回、最多奪三振(当時連盟表彰なし)1回、最高勝率(当時連盟表彰なし)1回、最優秀投手1回、ベストナイン1回、月間MVP1回、カムバック賞、オールスターゲーム出場5回

▽長嶋監督(1次)のときのエース。よく投げよく勝ち、よく負けた。73勝した。その後、韓国・三星に、87年には大洋に移籍、日本球界に復帰した。大洋でも2桁勝利を記録するなど変化球ピッチャーとして活躍。92年にはダイエーに移籍、また、シーズン途中にはヤクルトに移籍し、3年ぶりに勝ち星を記録した。その年限りで引退。
 韓国時代には、本名・金日融で活躍。
 私は、ファミスタで、実戦の長嶋監督のようにこの新浦をよく使った。変化球の切れがすごくて、相手の打者を翻弄した。実際と違うのは、ゲームでは、左投手は右バッターに強いところ。ベ
ースギリギリに投げて、見逃し三振をよくとった。


左から
74年 bP71(ファーストカード)
74年 bR77
73年 bP87(参考)長嶋茂雄のカードであるが、左側に写っている。記載なし。

◆23 河埜和正
巨人(70E〜86)
1430試合 1051安打 115本 153盗塁 打率.251
ベストナイン1回、ダイヤモンドグラブ賞1回、日本シリーズ敢闘賞1回、日本シリーズ優秀選手賞1回、オールスターゲーム出場4回、1000試合出場(227人目)

▽70年にジャイアンツに入団。私がジャイアンツのオーダーで覚えているものは、81年頃の、1番・センター松本、2番ショート河埜、3番セカンド篠塚…(1番・ショート河埜、2番・セカンド篠塚、3番・サード原っていうのもあったな)。とにかく、ショートストップとして活躍した。
 阪神ファンなら覚えているかもしれないが、85年のシーズン、伝説の3連発を打たれた前日のこと。彼が、大きなエラーをして、そのイニングに大量点を奪われてしまった。だから、阪神を優勝へと勢い付かせてしまったのは、槙原ではなく、彼なのかもしれない。
 川相、岡崎、鴻野といった選手の成長から次第に活躍の場を失い、86年に引退。


左から
74年 bQ69(ファーストカード)
75年 bT33
75年 bT83

◆24 須藤豊
毎日・大毎(56〜61)−巨人(62〜68)
959試合 495安打 8本 42盗塁 打率.230
▽記憶があるのは、日本テレビの朝のテレビ番組“ズームイン朝”で、スタジオで野球ニュース(入れ込み情報 「戦え! バイカンフー」のテーマ曲で始まるハッキリ言って巨人中心の野球ニュース)コーナーの番組を担当していた。その後、大洋の監督就任も、シーズン途中で退任。
 再び、野球ニュースコーナーを担当していた。


74年 bR33(ファーストカード)写真右 一塁コーチャー

◆25 
川上哲治
巨人(38〜42・46〜58)
1979試合 2351安打 181本 220盗塁 打率.313
首位打者5回、本塁打王2回、打点王3回、最多安打6回(※歴代2位。当時連盟表彰なし。)、MVP3回、ベストナイン10回、日本シリーズMVP1回、日本シリーズ首位打者賞1回、日本シリーズ技能賞1回、日本シリーズホームラン賞1回、オールスターゲームMVP1回、野球殿堂入り、勲四等旭日小綬章、文化功労者、シーズン打率.377(※歴代8位。)、シーズン打率3割以上12回(※歴代3位タイ。)、シーズン三振数6(※最少三振日本タイ記録。)、打率ベストテン入り15回(※歴代3位。)、8年連続シーズン打率3割以上(※歴代2位タイ。) 、9打数連続安打、10試合連続打点、1試合3三塁打(※日本タイ記録。)、1イニング2本塁打、逆転サヨナラ満塁本塁打(※史上初。)、日本シリーズ通算打率.365(※80打数以上では、歴代1位。)、サイクルヒット1回(※史上11人目。)、通算2000本安打達成(※史上初。1646試合目での達成は日本プロ野球史上最速。)、通算猛打賞194回、オールスターゲーム出場7回

▽私の中の、一番古い記憶は、NHK教育テレビで、少年野球の指導をしている姿である。

74年 bS30(ファーストカード)

1975年(広岡達郎藤田元治定岡正二淡口憲治矢沢正大北敏博D・ジョンソン横山忠夫小川邦和)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆26 広岡達郎
巨人(54〜66)

1327試合 1081安打 117本 115盗塁 打率.240
新人王、ベストナイン1回、日本シリーズ技能賞1回、正力松太郎賞2回、野球殿堂入り、オールスターゲーム出場6回、通算1000試合出場(78人目)

▽現役時代の記憶はない、っていうか、まだ私は生まれていなかった。記憶があるのは、西武ライオンズの監督をしている頃。それから、ロッテのゼネラルマネージャーをやっている頃。


75年 bT05(ファーストカード)写真上が広岡。下は長嶋。

◆27 藤田元治
巨人(57〜64)
364試合 119勝 88敗 0S 防御率2.20
最多勝1回、最高勝率2回、新人王、MVP2回、ベストナイン1回、日本シリーズ敢闘賞1回、正力松太郎賞2回、東京ドームMVP特別賞1回、野球殿堂入り、初登板・初勝利、オールスターゲーム出場4回

▽一番古い記憶は、巨人の監督をしている頃。原が入団し、江川、西本らの活躍で優勝した時である。

75年 bT35(ファーストカード)写真左が藤田。右は長嶋。

◆28 定岡正二
巨人(75@〜85)
215試合 51勝 42敗 3S 防御率3.83
オールスターゲーム出場1回

ファーストカードの裏面には、バンビ定岡という記述がある。なんだろう。宮崎キャンプに2万人が集まったというのも、人気の高さをあらわすもの。
76年ドラフト1位でジャイアンツに入団。鹿実高のとき、甲子園大会で脚光を浴びて、女性ファンも多かった。プロで活躍したのは80年頃から。81年にはプロ入り初勝利、シーズン・11勝をあげ、江川、西本とともに、ジャイアンツの3本柱として活躍した。特に、広島戦には強かった記憶がある。
 先発ローテーションに入って活躍していたが、若手に押され、中継ぎ、リリーフをするようにもなる。
 85年シーズン終了後、近鉄・有田捕手とのトレードが発表された。しかし、そのときいろいろあって、結局ジャイアンツで引退したほうがよいと考えたらしく、そのまま引退(代わりに、左の代打で活躍していた淡口が近鉄へ、近鉄から捕手・有田が入団、淡口と共に、山岡も)。
 引退後は、それが幸いしたのか、芸能界に入り活躍中。とんねるずと一緒に仕事をしたことで、人気が出たのか。でも、TBS
で、野球解説もしている。


左から
75年 bT79(ファーストカード)
75年 bU05

◆29 矢沢正
巨人(67外〜77)
263試合 122安打 15本 1盗塁 打率.229
▽この選手についても良くわからない。江川投手が浪人生活をしていた時の練習相手であったという。

左から
75年 bV29(ファーストカード)
75年 bP27 写真左側
76年 bT20

◆30 小川邦和
巨人(73F〜77)−広島(81〜83)
243試合 29勝 20敗 9S 防御率3.83
▽ドラフト7位でジャイアンツ入団。2年目に12勝を記録するなどV9時代末期から第一期長嶋ジャイアンツを支えた。30歳で解雇されると78年、反骨心から単身渡米。メジャーリーグに挑戦した。2年間、独立リーグ、マイナーリーグ(2A、3A)でプレー、メジャーには上がることは無かった81年、日本に戻り、広島で3年間プレーし、中継ぎで活躍。またも、解雇されると今度はメキシカンリーグで活躍。その後、ロッテ、韓国・三星のコーチ、野球解説者。ジャイアンツ時代、当時ヘッドコーチをしていた関根潤三と、試合中の判定でもめて大喧嘩をしたって野球中継のときに言っていたぞ(同じチームなのに)。

左から
75年 bP27(ファーストカード)矢沢正と共通 省略
75年 bQ04
75年 bQ61

◆31 淡口憲治
巨人(71B〜85)
−近鉄(86〜89)
1639試合 1076安打 118本 打率.275
1000試合出場(史上235人目)、100本塁打(史上145人目)、1000本安打(史上151人目)、1500試合出場(史上88人目)

▽71年ジャイアンツ入団。左の代打としてのイメージがあるが、レギュラーで活躍していた時期もある。私が野球を覚えた頃は、彼のバッティングフォームをよく真似ていたものだ。それぐらい、バッティングフォームに特徴があった(よく考えてみると、バッティングフォームではなく、打つ前の一瞬を真似しただけか)。81年だったと思うが、テレビを見ていて、満塁サヨナラホームランを打った瞬間に映像がCMに切り替わったって記憶があるぞ。引退後は、ジャイアンツに戻り、コーチ就任。06年には、高田繁(日ハム)GMに誘われて日ハムで1軍打撃コーチ。 06年は日本一、07年は日本シリーズには敗れたもののパリーグ制覇。でも、監督が代わればこんなもん。08年からは、スワローズで2軍コーチを務める。 サインは08年6月に埼玉浦和球場でもらった。

左から 
75年 bP31(ファーストカード)
75年 bQ52

◆32 大北敏博
巨人(71A〜79)
−西武(80)
40試合 7安打 1本 1盗塁 打率.219
▽イースタンリーグでは首位打者を獲得するなど実績を残したが、1軍では活躍できなかった。

75年 bV70(ファーストカード)

◆33 D・ジョンソン
巨人(75〜76)
199試合 159安打 39本 2盗塁 打率.241
ダイヤモンドグラブ賞1回、ベストナイン1回

▽純血路線を貫いてきた巨人であったが(実際には、そんなことは、なかったんだけれども)、長嶋監督の方針で、現役大リーガーの獲得を決断。
 実績十分のジョンソンに多大なる期待がかけられた。
 シーズンに入ると慣れないサードに戸惑いがあったのか、8打席連続三振という珍記録を作ってしまった。シーズン途中、本職のセカンドに戻ると、力を発揮して、長嶋ジャイアンツのV1に項献。
 ジャイアンツ時代は、199試合の出場 打率241 本塁打39 打点112 。
 現在は、大リーグ・ワシントンナショナルズの監督として活躍中。


左から
75年 bV78(ファーストカード)
76年 bR48
76年 bS49

◆34 横山忠夫
巨人(72@〜77)
−ロッテ(78)
70試合 12勝 15敗 0S 防御率4.64
▽成績を調べてみて思ったんだが、何でこの選手がカード化されているのか分からない。通算成績は、70試合に登板 し、12勝15敗 防御率 4.64。
 75年に8勝(7敗)が目立った成績ではあるが、他にも取り上げるべき選手はいたはずだ。しかも、翌年は1勝しかあげていないのにこれまたカード化されている。78年に引退。


75年 bX7(ファーストカード)

1976年(
張本勲加藤初杉下茂クライド・ライト高橋良昌山本功児槌田誠原田治明町田行彦)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆35 張本勲
日拓・日ハム(59〜75)
巨人(76〜79)−ロッテ(80〜81)
2752試合 3085安打 504本 1676打点 319盗塁 打率.319
首位打者7回(7回は日本タイ記録、4年連続は歴代2位。) 、最高出塁率9回 (歴代最多)、 最多安打3回 (当時連盟表彰なし。 )、新人王、 MVP1回、 ベストナイン16回、月間MVP1回、日本シリーズ技能賞1回、日本シリーズ打撃賞1回、オールスターゲームMVP3回、野球殿堂入り、通算3085安打(日本記録。)、シーズン打率.350以上を両リーグで記録(史上唯一。)、シーズン打率3割以上:16回(日本記録。)、シーズン打率.330以上11回(日本記録。)、シーズン150安打以上9回(歴代2位タイ。)、シーズン100安打以上:20回(歴代2位。)、シーズン20本塁打以上16回(歴代3位タイ。)、打撃ベストテン入り17回(日本タイ記録。)、9年連続シーズン打率3割以上(日本記録。)、15年連続打撃ベストテン入り(パ・リーグ記録。)通算2000本安打到達年齢32歳2ヶ月(年少記録歴代2位。)、通算2000本安打到達スピード1733試合(歴代3位。)、通算2500本安打到達スピード2185試合(史上最速記録)、1000試合出場(117人目)、オールスターゲーム出場18回、日本シリーズ通算打率.370(70打数以上では、歴代1位。)、サイクルヒット1回(史上19人目。)、通算猛打賞251回(日本記録。)、通算1676打点(打点王を獲得していない選手の中では史上最多。)、通算1523得点(最多得点を記録していない選手の中では史上最多。)、通算打率3割・500本塁打・300盗塁(史上唯一。)

▽現在、TBS野球解説者。「今日の解説は、3000安打の張本勲さんです」って、紹介される。入団は東映。長嶋監督時に、当時エースであった、高橋一三との交換トレードでジャイアンツに移籍。80年には、ロッテに移籍し、81年に引退。最近では3000本安打を達成したときの映像が、テレビで流れなくなったが、わが家では、たまに、Numberの豪打列伝を流すので、今でもしっかり見られる。日曜朝のTBSの番組では、若手野球選手に限らず、芸能界なんかにも『喝!!!』って吠えている。でも、サッカーのことをほとんど知らないのに、オシム監督のコメントに『喝!!!』って、そりゃないでしょう。中西さんも大変だ。

左から
76年 bR54(巨人移籍後最初のカード)
76年 bR61
76年 bS54

◆36 加藤初
西鉄・太平洋(72外〜75)〜巨人(76〜90)
490試合 141勝 113敗 22S 防御率3.50
最高勝率1回 (当時連盟表彰なし)、新人王、月間MVP1回、1000奪三振(史上64人目)、通算100勝(史上82人目)、1500奪三振(史上33人目)、ノーヒットノーラン(史上51人目)、オールスターゲーム出場6回
▽入団した72年に17勝を挙げ新人王、巨人に移籍した76年に最優秀勝率のタイトルをそれぞれ獲得している。オールスターゲームにも6度出場し、76年には対広島戦でノーヒットノーランの快挙を成し遂げている。89年からは巨人で選手兼任コーチを務め90年に現役引退。その後はフジテレビやニッポン放送の野球解説者。95年からは西武のコーチに就任し00年からは西武の球団フロントに入った。
 現役時代は「鉄仮面」というあだ名がつけられた。
 07年は韓国・SKでコーチ。サインは、そのときに高知市営球場で、古いジャイアンツ時代
のものにもらった。


左から 
76年 bS27(巨人移籍後最初のカード)
76年 bT75

◆37 杉下茂
中日・名古屋・中日(49〜58)−大毎(61)
525試合 215勝 123敗 0S 防御率2. 23
最多勝2回、最高勝率1回、最優秀防御率1回、最多奪三振2回 (当時連盟表彰なし)、MVP1回、沢村賞3回、ベストナイン1回、日本シリーズMVP1回、日本シリーズ最優秀投手賞1回、野球殿堂入り、日本シリーズ1シリーズ完投4(シリーズタイ記録)、オールスターゲーム出場6回、ノーヒットノーラン1回
▽巨人での選手経験はない。TBS解説者で、紹介されるときは、「天下の宝刀、フォークボール」と紹介される。

76年 bT47(ファーストカード)

◆38 クライド・ライト
巨人(76〜78)

59試合 22勝 18敗 0S 防御率3.97
▽76年に入団。大リーグでは、ノーヒットノーランも達成したことのある選手。まずまずの活躍はしたものの、スポーツ紙に注目されたことといえば、彼の暴れっぷり。カードの裏面には、「ジャイアンツV1に貢献した。頼もしい助っ人である」ってコメントされている。

左から
76年 bU45(ファーストカード)
76年 bP237

◆39 高橋良昌
東映(67@〜72)−
巨人(73〜77)
384試合 60勝 81敗 7S 防御率3.34
新人王、オールスター出場2回、初登板初完封、完全試合1回 (プロ野球史上12人目)
▽現在は、大学野球の監督を務めている。カードは持っていなかったけれど、都内のカードショップで100円で売っていたので即購入。
 残念だけれど、現役時代の記憶はない。


76年 bV52(ファーストカード)

40 山本功児
巨人(76D〜83)ロッテ(84〜88)
1217試合 699安打 64本 369打点 13盗塁 打率.277
ダイヤモンドグラブ賞2回、1000試合出場(史上261人目)、オールスターゲーム出場2回
▽76年ジャイアンツ入団。内野手。当然、当時のジャイアンツのファーストには王選手がいて、常時出場とはいかなかったが、主に代打で活躍した。84年にはロッテに移籍。ロッテではレギュラーで活躍し、3割もマークした。晩年はやはり、代打の切り札として、また、コーチ兼任で活躍した。
 私が覚えていることとしては(今でもたまにテレビで映し出されるのだが)、中日の宇野が頭にボールを当てた珍プレーの立役者。山本功児は、悔しそうに一塁に走り出すのだが、宇野がエラーしたのを確認するや否やホームまで全速力で走りだす(結局ホーム寸前でタッチアウト)。選手時代はゴールデングラブ賞を2回受賞。
 ロッテの監督時代は、いい兄貴分として選手からもファンからも慕われていた。サインも、いつ行っても丁寧に書いてくれた。
 04・05年はジャイアンツに戻りコーチ。06年
は、解説者。


左から
76年 bV53(ファーストカード)
76年 bP082

◆41 槌田誠
巨人(67@〜76)−ヤクルト(77)
479試合 107安打 14本 63打点 11盗塁 打率.215
▽現役時代の記憶はないし、ヤクルトにいたことも知らなかった。
 ファミスタ92で、“つちつた”で登場している。
初ヒットが代打満塁本塁打。

75年 bV61(ファーストカード)写真左。

◆42 原田治明
巨人(73C〜81)
342試合 74安打 4本 38打点 1盗塁 打率.230
▽この選手も現役時代は全く知らない。昔、江川卓さんがやっていた“うるぐす”で、江川氏が彼のことを“ヤジ将軍”って言っていたっけ。

75年 bV76(ファーストカード)

◆43 町田行彦
国鉄(52〜64)−
巨人(65)
1415試合 913安打 129本 459打点 133盗塁 打率.233
本塁打王1回、ベストナイン1回、サイクルヒット1回(史上17人目)、オールスターゲーム出場3回
▽この選手も知らない。カードはコーチ時代のもの。王選手の後ろに写っており、キャプションでも“町田コーチ”と記載されているため、この項目で紹介することにした。


75年 bW24(ファーストカード)写真左端。

1977年(
浅野啓司J・リンド藤城和明国松彰松本匡史)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆44 浅野啓司
ヤクルト(67〜76)
巨人(77〜84)

542試合 86勝 116敗 10S 防御率3.39
カムバック賞、オールスターゲーム出場1回

▽67年ドラフト9位で産経に入団。高卒ルーキーながら50試合に登板し、8勝をあげる。77年には倉田とのトレードで、ジャイアンツへ移籍。ジャイアンツでは、いきなり、9勝(1セーブ)を記録し、カムバック賞獲得。84年引退。通算86勝116敗10セーブ。通算成績が悪いのは、ヤクルト時代の負けっぷりがすごかったから。長嶋茂雄に2000本目の安打を打たれた。
 引退後はコーチで活躍。最近のニュースでは、大学の監督に就任って書いてあったぞ。


77年 青版 bU5(巨人移籍後最初のカード)
77年 ジャイアンツ選手カード bX

◆45 J・リンド
巨人(77)

65試合 47安打 9本 23打点 1盗塁 打率.237
▽この選手も知らない。巨人の外国人は、それなりに知っているつもりでいたが、彼だけはカードを入手するまで分からなかった。


左から
77年 青版 bQ07(ファーストカード)
77年 ジャイアンツ選手カード bU

◆46 藤城和明
巨人(77@〜82)
−阪急(83〜85)−ロッテ(86)
101試合 14勝 19敗 0S 防御率4.51
▽現役の頃の記憶はない。四国独立リーグの監督をやっていた。

77年 bQ6(ファーストカード)ホームランカード

◆47 国松彰
巨人(55〜70)

[投手]10試合 0勝 1敗 0S 防御率5.40
[野手]1378試合 979安打 93本 427打点 125盗塁 打率.243
オールスターゲーム出場2回、通算1000試合出場(史上125人目)

▽この選手も知らない。コーチ時代の記憶はなんとなくあるね。2011年からお菓子のホームラン王「ナボナ(当時、王選手がCMに出演していた。)」で有名な亀屋万年堂の会長を務める。


77年 王選手の記念本塁打 bS2(ファーストカード)写真左側

◆48 松本匡史
巨人(77D〜87)

1016試合 902安打 29本 195打点 342盗塁 打率.278
盗塁王2回、ベストナイン1回、ダイヤモンドグラブ賞3回、月間MVP1回、後楽園MVP賞1回、1000試合出場(史上273人目) 、オールスターゲーム出場6回

▽SMAPのファンはこの「青いイナズマ」を知っているのか?
 俊足でセリーグ盗塁記録である、シーズン76個は、未だに破られていない。77年にジャイアンツに入団。長嶋監督がよく口にした地獄の伊東キャンプの経験者。87年限りで現役を引退した。引退後はジャイアンツでコーチや2軍監
督も経験した。

 2006年、久々にユニフォームを着ることになったが、そのチームは楽天。野村監督の下、ヘッドコーチ就任。初めて、ジャイアンツ以外のチームに在籍することとなった。
 ファーストカードは、まだ背番号が23だった。


77年 日本選手権シリーズ bS1(ファーストカード)
81年 bQ59
81年 bQ71

1978年(
J・シピン小俣進)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆49 J・シピン
大洋(72〜77)−
巨人(78〜80)
1036試合 1124安打 218本 625打点 29盗塁 打率.297
ベストナイン2回、ダイヤモンドグラブ賞2回、月間MVP1回、オールスターゲーム出場5回、1000試合出場(史上217人目)
▽72年に大洋入団。大洋在籍時には、「ライオン丸」と形容されたようなあごヒゲを伸ばしていた。
 78年にはジャイアンツに移籍、トレードマークであった髭や髪をバッサリと切って、ファンを驚かせた(ヤンキースに移ったデイモンみたいだ)。80年まで活躍。打力もちろん、守備でも華麗なフィールディングを見せた。通算1036試合出場、打率.297(3779打数1124安打)、218本塁打、625打点、29
盗塁 どれも立派な数字だ。


左から
78年 「四番打者として…」(ファーストカード)
79年 5月 第18位

◆50 小俣進
広島(73D〜75)−
巨人(76〜79)−ロッテ(80〜84)−日ハム(85)
174試合 16勝 18敗 2S 防御率4.73
▽現役時代、引退後もまったく知らない選手。

78年 「巨人投手の新三羽ガラス? この写真は…」(ファーストカード)写真左端

1979年(
角三男中畑清)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆51 角三男
巨人(78B〜89)
−日ハム(89途〜91)−ヤクルト(92)
618試合 38勝 60敗 99S 防御率3.06
最優秀救援投手1回、新人王、ファイアマン賞1回、後楽園MVP賞1回、オールスターゲーム出場2回、500試合登板(史上60人目)、600試合登板(史上28人目)
▽藤田監督時に、リリーフエースで活躍。その年は、リリーフで登板後、打席が回ってきた、本塁打を放ったこともあった。89年には日ハム移籍。移籍後は、先発で活躍したっけ。近鉄のブライアントには、東京ドームの天上にぶつけられた認定本塁打を放たれた。
 ヤクルトでは、広島戦で大活躍。また、引退後、欽ちゃんファミリーでいながら、ヤクルト投手コーチに就任。優勝に導いた。で、1年限りで退団。これらの行動全てに驚いた。
 現在では、芸能レポーター的なこともやっている。


左から
79年 君が選ぶスターは誰だ!(ファーストカード)
79年 7月 第26位

◆52 中畑清
巨人(76B〜89)
1248試合 1294安打 171本 621打点 70盗塁 打率.290
ゴールデングラブ賞7回、日本シリーズ優秀選手賞:1回、オールスターゲーム出場6回、150本塁打(史上81人目)、1000本安打(史上146人目)、1000試合出場(史上270人目)
▽「絶好調男」。76年ジャイアンツ入団。3年目からレギュラーで活躍。以後、ジャイアンツのホットコーナーを守った。81年にケガをすると、サードには原が、そして、この中畑はファーストに回った。
 私が一番印象に残っているプレーは、89年の日本シリーズ。最後に本塁打を打った。よく調べると、公式戦の最終試合でも本塁打を打っている。
 それから、選手会の仕事をしていて、頑張っていた。今でこそ、プロ野球選手の組合が、しっかり機能しているようだけど、当時は、まだ、野球はバリバリの企業スポーツで、気に入らない選手やコーチは簡単にトレードに出されたり、解雇されたりしていたから大変だったんだろうね。そういった部分での功績も大きい。
 2012年からは、横浜で監督に。


左から
79年 8月 第14位(ファーストカード)
81年 bP07


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