プロ野球カードを語る


読売ジャイアンツ

 1


1990年(
中尾孝義木田優夫)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆77 中尾孝義
中日(81@〜88)−巨人(89〜92)−西武(92途〜93)
980試合 699安打 109本 335打点 45盗塁 打率.263

MVP1回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞2回、日本シリーズ優秀選手賞1回、カムバック賞、100本塁打(史上159人目)、オールスターゲーム出場3回
▽81年ドラフト1位で中日に入団。82年に優勝に貢献し、MVP獲得。中日でも、正捕手として実績を残していたが、星野監督の方針で、中尾は外野手、正捕手は中村って決めたもんだから、本人は、それに気に入らなかったため、そのことをネタにされ、よく新聞を賑わしていたっけ。結局、中尾はトレードで出され、ジャイアンツで、希望通り捕手に戻った。ジャイアンツに移籍してからは山倉を追い越して正捕手になった(89年カムバック賞)。92年には西武に移籍し、93年引退。その後、コーチ等で活躍。04年から阪神二軍バッテリーコーチ。

左から
90年 bU3(巨人移籍後最初のカード)
90年 bP10
90年 bQ04

◆78 木田優夫
巨人(87@〜97)−オリックス(98)−オリックス(00〜01)−ヤクルト(06〜09)−日ハム(10〜12)
▽87年ドラフト1位でジャイアンツ入団。藤田監督時代の90年には、二ケタ勝利を記録し、先発に抑えにと大活躍。また、最多奪三振賞を獲得。順調にジャイアンツで活躍していたと思ったが、故障も多く、特にひじには悩まされ続けていたようだ。98年は、オリックスで抑えのエースとして活躍。野村とのトレードで、オリックスに移籍したのには驚かされたが、活躍したので嬉しかった。大リーグにも挑戦したが、あまり活躍できず帰国。新天地ヤクルトでの活躍を期待している。サインは06年、神宮球場横でもらった。
 10年からは、活躍の場を北の大地へと移した。


左から
90年 bP09(ファーストカード)
90年 bP40
90年 bQ05

1991年(
元木大介香田勲男川相昌弘村田真一緒方耕一)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆79 元木大介
巨人(91@〜05)
1205試合 891安打 66本 378打点 21盗塁 打率.262
1000試合出場(史上379人目)、オールスターゲーム出場2回

▽彼のプロフィールはさておいて、私と弟がプロ野球チップスの箱買いを始めたのは1991年。ちょうど、元木が1年の浪人生活を終了したときだった。それまで、カルビーは、1年目の選手はカード化されることが少なく、本来この元木はまだカード化されるとは思っていなかった選手だ(87年のホーナーは例外中の例外)。運が悪かったのか、1箱購入して半分がこのカードだった。弟は特にがっかりし、また、3番が逆に1枚も出なかったので、その後も買い続けていったが、最後まで3番は出なかった。そしたら、なんと?!、「bRの原は第一版に入れる予定だったけど、しゅりんぷ(当時の担当者みたいな人)がミスしてしまったので第2版で登場することになってしまいました」ってコレクター通信に載っていたっけ。私たちは更にショックを受けるのだった。結局、大量のダブりが発生してしまったというのだ。今では箱買いしても、このようなことはないけどね(懐かしい思い出だよね!!)カルビー91年のbPは、20枚ぐらいダブっている。
 そういえば、入団当時、元木の背番号は37だった。


左から
91年 bP(ファーストカード)
91年 bP93

◆80 香田勲男
巨人(84A〜94)−近鉄(95〜01)
350試合 67勝 54敗 11S 防御率3.82

日本シリーズ優秀選手賞1回、月間MVP1回(1990年8月) 1000投球回数(史上280人目)、オールスターゲーム出場1回
▽84年にドラフト2位でジャイアンツに入団。一番輝いていたのは、90年かな。先発として11勝をあげ、優勝に貢献。日本シリーズでも好投し、3連敗後の4連勝という逆転優勝の立役者。それが、95年に近鉄移籍。ヤクルトばかりに注目していて気付くのが遅かったのだが、阿波野とのトレードで、近鉄へ移籍。ジャイアンツのピッチャーって峠を過ぎた選手はパリーグに出されてしまうんだよな。近鉄でも、それなりに活躍し、引退後はコーチにもなった。04年からはジャイアンツの2軍投手コーチを任されていた。

左から
91年 bP9(ファーストカード)
91年 bP89

◆81 川相昌弘
巨人(83C〜03)中日(04〜06)
1909試合 1199安打 43本 322打点 47盗塁 打率.266

ゴールデングラブ賞6回、ベストナイン1回、JA全農Go・Go賞1回、東京ドームMVP2回、セ・リーグ会長特別賞1回、オールスターゲーム出場2回、1000本安打(史上187人目)、1500試合出場(史上132人目)、500犠打(史上初)
▽コメントを書く前に一言。カードを作るための撮影するスタッフって、事前にどんな写真を撮るのか少しは考えているよね。それでいて、川相のカードを見て思ったんだけど、川相っていったら、やっぱり、バントするところじゃないかな? それが、バントしている場面のカードが少なくてびっくり。なんとか、掲載するんだけど、作る人は、もう少し考えて欲しいと思う。
 83年ドラフト4位でジャイアンツに入団。2番打者として、活躍。1番緒方、2番川相(ちょっと古いけど)っていうのが強かったな。
 ジャイアンツを退団するって発表した後、原監督が退団。川相は、中日に移籍した。出場機会は少なかったが、メンタルコーチとして活躍。06年シリーズ終了後、引退を発表した。
 11年からは巨人の二軍監督に就任。


左から
91年 bP01(ファーストカード)
91年 bP54

◆82 村田真一
巨人(82D〜01)
1134試合 673安打 98本 367打点 2盗塁 打率.234
ベストナイン1回、最優秀バッテリー賞2回、日本シリーズ優秀選手賞1回、1000試合出場(史上359人目)、オールスターゲーム出場2回
▽82年ドラフト5位でジャイアンツに入団。長打力があるキャッチャーとして90年代前半からレギュラーとなり活躍。ヤクルトファン(私)の意見だが、肩が少しだけ弱かったような。古田と比較されてかわいそうに思うこともあった。斉藤と同じ年に引退。06年は、原監督の下で再びコーチとして若手の育成にあたることになった。

左から
91年 bP08(ファーストカード)

◆83 緒方耕一
巨人(87E〜98)
685試合 486安打 17本 96盗塁 打率.263
盗塁王2回
▽87年ドラフト6位でジャイアンツ入団。とにかく足が速かった。ヤクルト戦では、ほんと、よく走られた記憶がある。ジャイアンツが強いなって思っていた頃の1番バッター。盗塁王2回獲得。その頃、緒方といえば、この巨人の緒方を指していたが、95年頃からは、広島の緒方が有名になってきた。新聞でも、巨人広島戦の時には、緒方(巨)って書かれていた。そういえば、最近、広島には尾形(背番号4)が台頭してきたぞ。引退後はTBSのリポーターをやったり、ラジオでちょこっと出たり。06年は、2軍守備走塁コーチ。

左から
91年 bP57(ファーストカード)
92年 bV7

1992年 なし 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1993年(
松井秀喜)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆84 松井秀喜
巨人(93@〜02)

▽ジャイアンツの4番打者まで、大リーグに挑戦する時代になった。大リーグでは、特別多くのホームランを打つバッターではないけれども、クリーンナップ、時には4番を打っている。ヤンキースでは、レフトを守ることが多い。
 ジャイアンツ時代、プロ入り初本塁打はヤクルト戦で高津投手から放っている。松井を簡単に紹介する映像が流されるとき、以前は、決まってこのシーンが使われていたが、最近はそれも少なくなってきている。日米通算2000本安打も達成。06年のシーズン途中、怪我をして連続試合出場の記録が途絶えたことは、とても、残念だが、今度はバッティングの記録でファンにアピールして欲しい。
 現在、日米通算400本塁打を越えたあたりだから、この先どこまで記録を楽しみである。
 ヤンキースは退団してしまったが、最後のシーズンのシリーズMVPは、素晴らしかったし、日本人に勇気と希望を与えた。


左から
93年 bP 大文字(ファーストカード)
93年 bP 小文字
94年 bS7

1994年(
吉岡雄二石毛博史落合博満)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆85 吉岡雄二
巨人(90B〜96)−近鉄(97D〜04)−楽天(05〜08)
1012試合 883安打 131本 463打点 28盗塁 打率.273
100本塁打(史上223人目)、1000試合出場(史上422人目)、オールスターゲーム出場1回

▽入団はジャイアンツ。帝京高校時代には甲子園出場。優勝投手だ。注目されて入団したものの、すぐには結果が出なかった。ジャイアンツ時代には毎年のように2軍でタイトルを獲得。1軍に常時出場できるようになったのは近鉄に移籍してからのこと。クリーンナップを任されて90年代後半から00年前半にかけて大活躍。
 楽天に移籍してからは、本来の実力を出し切れていない。もう、シーズン30本近い本塁打を期待してはいけないのかな。
 サインは07年4月に埼玉浦和球場でもらった。山アが調子がいいので1軍にに上がるのは
難しいかも。
 
08年で、日本球界を引退。メキシコに渡ってフルシーズン活躍した。現在は、日本に戻り、独立リーグでコーチをしている。
 巨人で紹介するカードは、みんな2人1組のもの。カップリングされている選手がいずれも元木選手というのも何かあったのか?


左から
94年 bS1(ファーストカード)写真右
94年 bP10 写真右
94年 bP20 写真右

◆86 石毛博史
巨人(89外〜96)
−近鉄(97〜02)−阪神(03〜05)
375試合 34勝 29敗 83S 防御率3.44
最優秀救援投手1回、ファイアマン賞1回、JA全農Go・Go賞1回、東京ドームMVP1回 (1992年)、オールスターゲーム出場1回


左から
94年 bS8(ファーストカード)
94年 bP17
94年 bP26

◆87 落合博満
ロッテ(79B〜86)−中日(87〜93)−巨人(94〜96)−日ハム(97〜98)
2236試合 2371安打 510本 1564打点 65盗塁 打率.311

三冠王3回(史上最多。)、首位打者5回(右打者のパ・リーグ記録。)、本塁打王5回 (両リーグ本塁打王は史上初。)、打点王5回(両リーグ打点王は史上初、現在も唯一。)、最多勝利打点5回(受賞5回は史上最多)、最高出塁率7回 (歴代2位、右打者歴代1位。)、最多安打1回 (当時連盟表彰なし。) MVP2回(優勝チーム以外から2度以上の選出は王貞治に続いて2人目。)、ベストナイン10回、月間MVP6回、オールスターゲームMVP2回、日本プロスポーツ大賞1回、優秀JCB・MEP賞1回、IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞1回、正力松太郎賞1回、野球殿堂入り、最優秀監督賞、 シーズン打率.367(右打者歴代3位。)、シーズン本塁打52(右打者の日本人歴代最多タイ記録。)、シーズン打点146(パ・リーグ記録。)、シーズン長打率.763(パ・リーグ記録。)、シーズン得点118(右打者のパ・リーグ記録。)、シーズン塁打351(右打者のパ・リーグ記録。)ただし、出塁数を採用していた時代のセリーグの記録に遡ると1974年王貞治の.534が日本記録。)、シーズン打率3割以上11回(歴代5位タイ、右打者歴代1位タイ。43歳になる年での達成は史上最年長記録。)、シーズン打率.360以上2回(日本タイ記録、右打者では史上唯一。)、シーズン50本塁打以上2回(歴代2位タイ。)、シーズン30本塁打以上9回(歴代3位タイ。)、17年連続シーズン100安打以上(歴代4位タイ。)、2年連続シーズン50本塁打以上(史上初。)、両リーグ1000安打以上(史上2人目。)、両リーグ200本塁打以上(史上唯一。)、1試合6四球(日本記録。)、5試合連続本塁打、通算打率.3108(右打者の日本人歴代最高打率、5000打数以上では右打者最高打率。)、通算出塁率.422(歴代2位、右打者歴代1位。)、通算長打率.564(右打者の日本人歴代1位。)、通算四球1475(歴代2位、右打者歴代1位。)、350本塁打(史上14人目)1000得点(史上24人目)、300二塁打(史上31人目)、2000本安打(史上27人目)、1000三振(史上21人目)、4000塁打(史上11人目)、2000試合出場(史上29人目)、500本塁打(史上7人目)、1500打点(史上7人目)、オールスター出場15回、オールスター通算打率.365( 100打数以上では、歴代1位タイ。)、オールスター通算本塁打11本(歴代4位。)、オールスター通算打点27(歴代3位タイ。)
▽79年ドラフト3位でロッテに入団。3年目の81年にレギュラー獲得。当時はセカンドを守った。そして、私が驚いたのはその年のシーズン中でも4番を打ったことが2試合しかなかったにもかかわらず、オールスター戦の4番を任せられたこと。シーズンでは初の首位打者。以後、パリーグを代表する打者となり、ロッテを退団する86年までに3冠王を2度獲得するなど、大打者へと成長した。86年シーズンオフ、中日の牛島などと大型交換トレードで、セリーグへ。87年こそ、タイトル無しに終わったが、翌年には優勝に貢献。自身初のリーグ・チャンピオンに輝いた。印象に残る一打は、斎藤雅樹のノーヒットノーランかという試合の9回裏に放ったサヨナラ3ラン(巨人ファンも中日ファンもコアなファンは覚えているはず)。94年には巨人に移籍。まずまずの活躍をしていたが、清原のジャイアンツ移籍で追い出される格好になり、自由契約。ヤクルトファンの私は、野村監督に絶対獲得して欲しかった。しかし、結局、日ハムへ(私は、がっかりしたが、不思議なものでそれが結果的には良かったのだ。なぜなら、落合を獲れなかったヤクルトは広島から小早川を獲得。開幕戦に3連発したのだ)。

左から
94年 bS9(巨人移籍後初のカード)
94年 bP18

1995年(広沢克己
S・マック川口和久)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆88 広沢克己
ヤクルト(85@〜94)−巨人(95〜99)阪神(00〜03)

▽85年ドラフト1位でヤクルト入団。明治大学の4番がヤクルトに入ったもんで、私は開幕前からすごい期待をしていたっけ。88年には、シーズン終盤まで、打率とホームランと2冠王のチャンスがあったのだが、失速。残念だった。ずっとヤクルトに残ると思っていたけど94年シーズン終了後巨人にFA移籍。4番打者がいなくなって、私はショックが大きかった(おまけに、ハウエルまで巨人に行ってしまった)。池山と一緒にイケトラ・コンビってよく、報道されていた。
 巨人に移籍してからは、4番を任されたりしたが連続試合出場も途切れ結果的には大活躍とまではいかなかった。その後、出番も減り、阪神に移籍する。阪神でもクリーンナップを打つこともあったが、代打が多かった。阪神が優勝した年もシーズン後半まで出番がなく、このまま終わってしまうのではと思ったが、シリーズの最終打席ではホームランを放った。


95年 bV6(巨人移籍後最初のカード)

◆89 S・マック
巨人(95〜96)

▽2年間在籍。クリーンナップとして期待されていたと思うが、1番打者として活躍した。2年連続20本塁打以上。退団後は、米国・大リーグに復帰。


左から
95年 bW1(ファーストカード)
95年 bb20

◆90 川口和久
広島(81@〜94)−
巨人(95〜98)
▽広島時代の活躍に比べると、巨人時代は地味だったかな。プロ入りは、77年のドラフト会議でロッテに指名されたものの入団拒否、80年のドラフトで広島から1位指名を受けて入団。
 96年には、シーズン胴上げ投手となった。


左から
95年 bW2(巨人移籍後最初のカード)

1996年(仁志敏久)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆91 仁志敏久
巨人(96A〜06)
−横浜(07〜09)
▽96年新人王。原選手(現監督)が引退した後、背番号8を付けたのは彼。もっと、寝かせておくと思ったので、意外であった。
 仁志は、1番バッターで良く起用されていたが、4番打者と同じように打ってしまうため、よく解説の堀内さんに小言を言われていたっけ。好きな球が来たら初球からでも迷わず打っていった。横浜に移籍した直後には活躍したが、その後、不調に陥り、シーズン途中に引退を表明なんて記事が新聞に載っていたっけ(実際は、撤回だか、そんな話は無かったみたいにうやむやになったが)。


左から
96年 bT2(ファーストカード)
97年 bU4

1997年(
清水隆行ガルベス後藤孝志清原和博ヒルマン河野博文岡島秀樹入来祐作杉山直樹石井浩郎福王昭仁三沢興一)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆92 清水隆行
巨人(96B〜08)
−西武(09)
▽長嶋監督は、この清水を呼ぶ時、「柳田!」ってよく言っていたとどっかの番組で聴いたような。それだけ70年代後半に活躍した柳田に似ていたんだろうね。
 08年のイースタンリーグで愛鷹球場に来た時には、なんだか寂しそうだったな。少し早めに到着して内野席からグランドを眺めていたっけ。96年には同期の仁志と新人王を争った(結局、新人王は仁志だった)。
 西武での1年間もなんだか目立たなかった。


左から
97年 bX(ファーストカード)
97年 bP12
97年 bP70

◆93 ガルベス
巨人(96〜00)

▽投げるときに舌を出す癖があったけれど、それが球種には影響が無かったのか、5年間も活躍できた。最後は、ちょっと残念な終わり方だったな。審判に向かってボールを投げてしまい、そのまま処分となった。残念だ。


左から
97年 bR8(ファーストカード)
97年 bP86
97年 bQ37

◆94 後藤孝志
巨人(88A〜05)

▽練習大好きという印象あり。レギュラーで活躍することは少なかったが、脇役で活躍。


左から
97年 bS8(ファーストカード)
97年 bP50
97年 bQ34

◆95 清原和博
西武(86@〜96)巨人(97〜05
−オリックス(06〜08)
▽引退試合は感動したなぁ。スポーツアイでは、長淵剛の歌も完全生中継でやってくれたっけ。
 入団時はゴタゴタがあった。事前に巨人がドラフト1位で指名すると言っておきながら(ホントかどうかはわかりませんが)実際には、同じ高校である桑田真澄投手を1位指名したもんだから、西武が交渉権を獲得した。FA宣言をして97年に巨人へ移籍。06年にはオリックスへと移籍。08年に引退。08年の春季キャンプに行ったときは、オリックスの選手でいながら、1人別の会場で、専属コーチと隠れて練習していたっけ。もう、野球のできる体では無かったんだと思う。


左から
97年 bT1(巨人移籍後最初のカード)
97年 bP35
97年 bP59

◆96 ヒルマン
ロッテ(95〜96)
巨人(97〜98)
▽巨人での2年間は、いったい何だったのだろうか。ロッテでは、伊良部、小宮山らと先発ローテーションを組んで大活躍。95年のロッテ2位躍進の原動力となった。
 巨人に移ってからは、左肩が痛かったのか、登板が少なかった。


97年 bV2(巨人移籍後最初のカード)

◆97 河野博文
日ハム(85@〜95)−巨人(96〜99)−ロッテ(00)
▽“ゲンちゃん”って呼ばれていたっけ。日ハム時代の88年には最優秀防御率賞を獲得。巨人時代には中継ぎ、ワンポイントでの起用が多かった。

左から
97年 bW4(巨人移籍後最初のカード)
97年 bQ31

◆98 岡島秀樹
巨人(94B〜05)−日ハム(06)−ソフトバンク(12)−ソフトバンク(14)−横浜(15〜)
▽驚いた。06年開幕前日にトレードが発表された。94年にドラフト3位でジャイアンツ入団。毎年、着実に実績を積み重ね、00年には球宴出場。日本シリーズでは胴上げ投手となった。近年では抑え、セットアッパーをするようにもなり、登板数は増えていった。06年には、中日から野口が加入、内海、辻内の加入、成長等で岡島がトレードに出ることになったのだろう。
 サインは、埼玉浦和球場でもらう。あんなにたくさんの人たち全員にサインを書くんだから大変だったろうな。でも、笑顔で書いていた。早くこんな2軍ではなく、札幌ドームで投げて欲しいよ。
 私の願いが届いたのか、その後の彼の大活躍はご承知の通り。そして、今度はメジャーリーグに挑戦。松坂よりも先に契約をした。中継ぎか抑えでの起用になると思うが日ハムでのような活躍を期待する。07年はレッドソックスで中継ぎとして大活躍。BSでも、松坂は1週間に1回しか見られないけれど、岡島の姿は2試合に1
回のペースで見れたっけ。


97年 222(ファーストカード)

◆99 入来祐作
巨人(97@〜03)−日ハム(04〜05)−横浜(08)
▽97年にジャイアンツに入団。先発で最高勝率投手賞を受賞したこともあった。
 入団当時、私が、今とは異なる会社で働いていた頃、「のってけテリーの…」って番組をニッポン放送でやっていた。そのとき、昼休みにこの番組をよく聞いていたんだが、入来のことがよく話題になっていたっけ。打たれる度に、翌日の放送でテリー伊藤が彼のことををボロクソに言うもんだからおかしかった。04年には日ハムへ移籍。メジャーにも挑戦。08年は、久々の日本球界復帰。
 サインは04年の春、千葉マリンスタジアムでもらった。このときはカードが準備できなかったので選手名鑑に書いてもらった。カードには08年7月、静岡・富士
球場でもらった。


97年 bQ23(ファーストカード)

◆100 杉山直輝
巨人(88E〜00)

▽私の地元から巨人に入団したので大変話題になった。


97年 bQ25(ファーストカード)

◆101 石井浩郎
近鉄(90B〜96)巨人(97〜99)−ロッテ(00〜01)−横浜(02)
▽90年ドラフト3位で近鉄に入団。猛牛打線の一角として活躍、4番を任せられた。その後97年には巨人に移籍。巨人時代には、ファーストを守ったが、他にもたくさん選手がいたもんでなかなか常時出場はできなかった。00年には河本との交換トレードでロッテに移籍、02年には横浜に移籍。打点王1回。
 サインはロッテに移籍した、00年
の春にマリンスタジアム前でもらった。


左から
97年 bQ26(巨人移籍後最初のカード)
97年 bQ30

◆102 福王昭仁
巨人(86D〜99)

▽86年ドラフト5位でジャイアンツ入団。レギュラーでの活躍はなかったが、守備固めや代打での起用が中心で、よく「他球団へ行けばレギュラーで活躍できるのに」と残念がられた。長打力はなかったが、しぶといバッティングを見せた。01年にコーチ就任。二軍の守備走塁コーチとして、若手を鍛えあげるのが役目だ。


97年 bQ32(ファーストカード)

◆103 三沢興一
巨人(97B〜01)
−近鉄(01途〜03)−巨人(04)−ヤクルト(05〜06)−中日(07)

97年 bQ33(ファーストカード)

1998年(
チョソンミン高橋由伸ダンカン)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆104 チョソンミン
巨人(96〜02)


左から
98年 G12(ファーストカード)
98年 G28
98年 bP29

◆105 高橋由伸
巨人(98@〜)


左から
98年 bW4(ファーストカード)
98年 G29
98年 S30

◆106 ダンカン
巨人(98)


98年 G30(ファーストカード)

1999年(
二岡智宏上原浩治入来智マルティネス)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆107 二岡智宏
巨人(99A〜08)
−日ハム(09〜13)

左から
99年 bW7(ファーストカード)
99年 bQ62

◆108 上原浩治
巨人(99@〜08)


左から
99年 bX1(ファーストカード)
99年 bP63
99年 S27

◆109 入来智
近鉄(90E〜95)−広島(96)−近鉄(97〜98)−
巨人(99〜00)−ヤクルト(01〜02)

左から
99年 bX2(ファーストカード)(写真向かって左)

◆110 マルティネス
西武(97〜98)−
巨人(99途〜01)

左から
99年 bQ29(巨人移籍後最初のカード)
00年 bS6




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