プロ野球カードを語る


千葉ロッテマリーンズ

 1


1985年(
落合博満村田兆治有藤道世水上善雄山本功児)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 カード化されたのは5選手。

◆2 落合博満
ロッテ(79B〜86)
−中日(87〜93)−巨人(94〜96)−日ハム(97〜98)
2236試合 2371安打 510本塁打 1564打点 65盗塁 打率.311
MVP2回 三冠王3回 首位打者5回 本塁打王5回 打点王5回 最多勝利打点3回
最高出塁率7回 ベストナイン10回 オールスター15回 オールスターMVP2回
正力松太郎賞

▽79年ドラフト3位でロッテに入団。3年目の81年にレギュラー獲得。当時はセカンドを守った。そして、私が驚いたのはその年のシーズン中でも4番を打ったことが2試合しかなかったにもかかわらず、オールスター戦の4番を任せられたこと。シーズンでは初の首位打者。以後、パリーグを代表する打者となり、ロッテを退団する86年までに3冠王を2度獲得するなど、大打者へと成長した。86年シーズンオフ、中日の牛島などと大型交換トレードで、セリーグへ。87年こそ、タイトル無しに終わったが、翌年には優勝に貢献。自身初のリーグ・チャンピオンに輝いた。印象に残る一打は、斎藤雅樹のノーヒットノーランかという試合の9回裏に放ったサヨナラ3ラン(巨人ファンも中日ファンもコアなファンは覚えているはず)。94年には巨人に移籍。まずまずの活躍をしていたが、清原のジャイアンツ移籍で追い出される格好になり、自由契約。ヤクルトファンの私は、野村監督に絶対獲得して欲しかった。しかし、結局、日ハムへ(私は、がっかりしたが、不思議なものでそれが結果的には良かったのだ。なぜなら、落合を獲れなかったヤクルトは広島から小早川を獲得。開幕戦に3連発したのだ)。

左から
85年 bV1(ファーストカード)
85年 bQ59
85年 bR71

◆3 村田兆治
近鉄(68@〜90)
604試合 215勝 177敗 33S 防御率3.24
最多勝1回 最優秀防御率3回 最多セーブ賞1回 最多奪三振4回 ベストナイン1回
オールスター13回 オールスターMVP1回 野球殿堂入り
▽68年ドラフト1位でロッテ入団。以後、ロッテのエースとして長年大活躍。200勝も記録した大投手。僕は、川崎球場での清原との勝負を思い出す。直球勝負でよく、清原が振り遅れていたっけ。あと、引退する年、何でチームで一番速い球投げていて、しかも10勝しているピッチャーが辞めるのか理解できなかった。たぶん、余力を残して辞めるという村田の哲学があったんだろうな。今でも、マスターズリーグではオープニングピッチャーを任され、50歳なのに140キロを出して世間を驚かしている。
 90年の景品で当たりカードで交換したものもあるぞ。私と弟はどういうわけか、人気のあった清原や原のではなく、この村田兆治のこの写真を選んだ。まぁ、マサカリ投法が珍しくて好きだったんだよな。


左から
85年 bP37(ファーストカード)
86年 bR6
86年 bX1

◆4 有藤道世
ロッテ(69@〜86)

2063試合 2057安打 348本塁打 1061打点 282盗塁 打率.282
新人王 首位打者1回 ベストナイン10回 ダイヤモンドグラブ賞4回 オールスター13回
オールスターMVP1回
▽69年ロッテ入団。以後「ミスターロッテ」として大活躍。田淵(阪神)、山本浩二(広島)らと同期。今でこそ、カルビーは人気球団、不人気球団関係なく、カードを制作しているが、84年までは菓子のライバル会社であったロッテの選手をカード化しなかったのだ。よって、私の持っているカルビーのロッテ選手の最初のカードはこの有藤選手だ。69年には新人王を獲得、77年には首位打者を獲得。入団以来、引退する前年の85年まで二ケタ本塁打を記録している。2000本安打も達成している。
 アストロ球団との対戦では、防弾チョッキを着用し、打席に立
つ。デッドボールを受けたが、事なきを得た。


左から
85年 bV2(ファーストカード)
85年 bS49

◆5 水上善雄
ロッテ(76B〜89)
−広島(90)−ダイエー(91〜92)
1546試合 1011安打 105本塁打 450打点 115盗塁 打率.244
ダイヤモンドグラブ賞1回 ベストナイン1回
広島に移籍したときは驚いた。高沢とこの水上で何か新しい野球を見せてくれると思ったら、二人とも期待はずれ。水上はその後、ダイエーへと移るが、ここではまずまず活躍した。
 07年に久々の現場復帰。サインは07年3月に埼玉浦和球場でもらった。現役時は、長髪で有名だったが、今ではその面影は無い。イースタンリーグの試合では、サードコーチャーボックスに入って、打者にサインを送っている。
 08年は2軍監督に就任。大物ルーキー(と言われている)中田翔の入団で、その指導について、よくこの水上がコメントしている。


85年 bP49(ファーストカード)
87年 bR62


◆6 山本功児
巨人(76D〜83)−ロッテ(84〜88)

1217試合 699安打 64本塁打 369打点 13盗塁 打率.277
ダイヤモンドグラブ賞2回 ベストナイン1回
▽76年ジャイアンツ入団。内野手。当然、当時のジャイアンツのファーストには王選手がいて、常時出場とはいかなかったが、主に代打で活躍した。84年にはロッテに移籍。ロッテではレギュラーで活躍し、3割もマークした。晩年はやはり、代打の切り札として、また、コーチ兼任で活躍した。
 私が覚えていることとしては(今でもたまにテレビで映し出されるのだが)、中日の宇野が頭にボールを当てた珍プレーの立役者。山本功児は、悔しそうに一塁に走り出すのだが、宇野がエラーしたのを確認するや否やホームまで全速力で走りだす(結局ホーム寸前でタッチアウト)。選手時代はゴールデングラブ賞を2回受賞。
 ロッテの監督時代は、いい兄貴分として選手からもファンからも慕われていた。サインも、いつ行っても丁寧に書いてくれた。
 04・05年はジャイアンツに戻りコーチ。


85年 bR60(ロッテ移籍後最初のカード&唯一のカード)

1986年(西村徳文)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 カード化されたのは1選手。


◆7 西村徳文
ロッテ(82D〜97)

1433試合 1298安打 33本塁打 326打点 盗塁 打率.272
首位打者1回 盗塁王4回 ダイヤモンドグラブ賞2回 ベストナイン2回 正力松太郎賞
オールスター5回

▽82年ドラフト5位でロッテ入団。入団当時から俊足を生かして活躍。ファミスタでも、大活躍し、ショートゴロでもセーフになることが多かった。05年は、1軍ヘッドコーチ。ロッテのユニフォームを着て25年目のシーズンだ。
 サインは埼玉浦和球場でもらった。当時(02年)は2軍のコーチだった。
 06年はヘッド兼外野守備走塁兼三塁ベースコーチというたいへん長い肩書きになっている。また、ファーストコーチは高橋慶彦って、これもまたすごい。俊足コーチ陣だ。
 10年からは、監督。1年目でパリーグ3位。日本シリーズで優勝。

左から
86年 bP50(ファーストカード)
87年 bR35


1987年(牛島和彦愛甲猛古川慎一横田真之)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 カード化されたのは1選手。


◆8 牛島和彦
中日(80@〜86)−ロッテ(87〜93)
395試合 53勝 64敗 126S 防御率3.26
最優秀救援投手1回 最多セーブ投手3回 オールスター5回
▽中日では抑えの切り札として活躍。87年にトレードでロッテへ。
 05年には横浜監督就任。1年目にAクラス入り(3位)。当時、とんねるずがこの牛島監督を応援していたっけ。2年目は最下位で、責任をとって辞任。


左から
87年 bT0(ロッテ移籍後最初のカード)
87年 bP31
87年 bQ52

◆9 愛甲猛
ロッテ(81@〜95)
−中日(96〜00)
1532試合 1142安打 108本塁打 513打点 52盗塁 打率.269
ダイヤモンドグラブ賞1回 オールスター2回
61試合 0勝 2敗 0S 防御率6.70
▽入団時は投手。打者に転向してからは周知の通り大活躍。クリーンナップに起用されよく打った。

左から
87年 bP37(ファーストカード)
89年 bP1

◆10 古川慎一
ロッテ(86C〜95)

569試合 370安打 52本塁打 180打点 24盗塁 打率.243
▽87年は、開幕から4番を任されていたが、今一歩(とカードの裏に解説が書いてある)。当時のロッテ監督の有藤氏は、この古川に多大な期待を寄せたが、その後、出場機会は減っていき、95年で引退。

87年 bP39(ファーストカード)

◆11 横田真之
ロッテ(85C〜92)
−中日(93〜94)−西武(95)
917試合 727安打 38本塁打 239打点 108盗塁 打率.279
ベストナイン2回
▽入団時から2年連続3割打者。器用なバッティングで活躍。

87年 bP42(ファーストカード)

1988年(マドロック荘勝雄)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆12 マドロック
ロッテ(88)

123試合 115安打 19本塁打 61打点 4盗塁 打率.263
▽88年入団。すごい実績を持った大リーガーがやってきた。ナ・リーグで4度の首位打者。しかし、期待はずれだった。日本の野球を甘く見ていたんだろうな。結局1年で退団。目立った成績を残すことはできなかった。

88年 bW4(ファーストカード)

◆13 荘勝雄
ロッテ(85〜95)

297試合 70勝 83敗 33S 防御率4.05
オールスター1回

▽85年入団。以後、5年連続二ケタ勝利。弱いチームでよく勝てるなと子供ながらに思った。90年には、チームの方針でリリーフを任されるも、14敗もしていた。92年には日本に帰化したがなぜかその年から活躍できなくなった(帰化した年は0勝)。96年で現役を引退。しかし、すぐにはコーチにならず、97年はスタッフとして、98年からは二軍トレーニングコーチ。現在は2軍の投手コーチ。サインは00年、イースタンリーグの試合前にもらった。
 08年は、再び2軍コーチに。


左から
88年 bW5(ファーストカード)
88年 bP94


1989年(小川博高沢秀昭)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆14 小川博
ロッテ(85A〜92)

132試合 21勝 26敗 5S 防御率4.12
最多奪三振 オールスター1回
▽先発で起用されていたなぁ。88年には、シーズンフルに活躍し、最多奪三振も獲得。引退後はコーチに。

89年 bR7(ファーストカード)

◆15 高沢秀昭
ロッテ(80A〜89)
−広島(90〜91)−ロッテ(91〜92)
1005試合 932安打 95本塁打 399打点 107盗塁 打率.284
首位打者1回 最多安打1回 ダイヤモンドグラブ賞2回 ベストナイン2回 
オールスター4回
▽ロッテの弱い時代にクリーンナップで活躍した。88年には、首位打者も獲得したことがある。また、よく分からなかったが、90年に、この高沢と水上が広島にトレードされた。更に分からないのは、翌年、再びロッテに戻っている。現在は、ロッテの2軍でコーチをしている。
 サインは、06年、埼玉浦和球場で試合開始前にもらった。
 91年にロッテ復帰後は、カードが発行されなかった。


左から
89年 bU7(ファーストカード)
89年 bW4
89年 bR10




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