プロ野球カードを語る


千葉ロッテマリーンズ

 1


1990年(高橋慶彦M・ディアズ)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆16 高橋慶彦
広島(75B〜89)
ロッテ(90)−阪神(91〜92)
1722試合 1826安打 163本塁打 604打点 477盗塁 打率.280
盗塁王3回 ベストナイン5回 オールスター6回 日本シリーズMVP1回
▽練習の虫とよく言われていたっけ。2000本安打まであと少しだったけれどなぁ。私はこの高橋を起用するとき(ゲームの話です。全て架空です)、正田や山崎といった走力がある選手がいるときは彼を3番で、他の選手が走力のないときには、彼を1番で起用した。広島が強かったときというのは、この高橋が1番で活躍していた頃だろうね。広島時代の晩年には、自チームの投手が四球でも出すと、ショートで文句を言っていたようなことを、聞いたことがある。
 野村が成長したことで、広島は、この高橋をロッテへと放出。高橋はロッテでは馴染めなかったのか1年で、今度は阪神へと移籍。しかし、以前のように活躍することができず2年で退団、引退した。
 95年にはダイエーのコーチに就任。このときも、達川コーチとベンチ裏でやりあったようなことがあったようだ。
 04年から、ロッテでコーチ。


90年 bU7(ロッテ移籍後最初のカード&唯一のカード)

◆17 M・ディアズ
ロッテ(89〜92)

350試合 353安打 93本塁打 264打点 4盗塁 打率.281
ダイヤモンドグラブ賞回 ベストナイン回
▽狭い川崎球場でホームランを量産した。89年にロッテ入団。投手以外どこでも守れたり、デッドボールのときに投手に向かっていったり、何かと話題が多かった、助っ人外国人。監督が、金田監督だったこともあって自由に野球をしていたイメージがある。入団から2年連続で3割打ち、ホームランも39本、33本。立派な数字を残した。しかし、3年目に怪我をして調子を崩し、翌年引退。
 私がファミスタでロッテを使い出したのはこの少し後なので、残念ながらディアズを使った記憶がない(マックス、モトリーをよく使ったので、93年からかな)。
カルビーの景品(大型カード)もある。


左から
90年 bX2(ファーストカード)
91年 bQ7
91年 bX8

1991年(前田幸長佐藤兼伊知小宮山初芝清伊良部秀輝)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆18 前田幸長
ロッテ(89@〜95)
−中日(96〜01)−巨人(02〜07)
595試合 78勝 110敗 9S 防御率4.17
オールスター1回
▽甘いマスクで、入団時はアイドル並みの大人気。実力が追い付くまでは少し時間がかかった。先発として活躍していたが、しだいにセットアッパーとして起用されるようになった。中日、巨人時代は中継ぎとして重宝して起用されていた。

左から
91年 bQ3(ファーストカード)
91年 bP51
92年 bW5

◆19 佐藤兼伊知
ロッテ(79D〜92)

1041試合 619安打 65本塁打 280打点 36盗塁 打率.254
▽入団時は投手。78年ドラフト5位でロッテに入団。86年からレギュラーで活躍し始めた。私がおかしいと思ったのは、改名(読みが変っていないが漢字が変った。変な漢字をあてるんだなって)と、キャンプ時で使用していたゴーグルみたいなサングラス。それだけではない。なんとそのサングラスを着用しているものがカルビーのカードで出たのだ。はじめは、ロッテがライバル会社だったから、嫌がらせなんだろうかって子供ながらに真剣にそう思ったっけ。サインは06年5月、埼玉浦和球場でもらった。そんな選手(現 コーチ)に会って、サインを書いてもらえるんだから私は幸せだ。
 08年、コーチから球団職員に。10年から再びコーチに復帰。


左から
91年 bQ4(ファーストカード)
91年 bP50

◆20 小宮山
ロッテ(90@〜99)
−横浜(00〜01)−メッツ(02)−ロッテ(04〜09)
455試合 117勝 144敗 4S 防御率3.74
最優秀防御率賞1回 オールスター7回
1年間のブランクのあと、現役復帰。正直、話題づくりだけかと思ったが、なかなか好投している。役割といえば敗戦勝利が中心だが、1年間1軍に帯同した。
 97年には最優秀防御率のタイトルを獲得、オールスターにも7回出場している。
 横浜時代の投球は、いまいちだった。ロッテの良い頃を知っていたため物足りなかった。サインは07年3月、埼玉浦和球場でもらった。
 07年は3年ぶりの勝ち星をマーク(3勝)した。08年は、やはり(?)、中継ぎ、敗戦処理のような起用のされ方である。先発の清水が試合直前になって登板回避したときには、先発もした。しかし、もう最優秀防御率のタイトルを獲得した頃の投球とは程遠いものである。09年に引退。大雨の中の引退試合だった。
 ロッテに復帰後は、2006年にベテラン選手枠でカード化(通販限定)された。


左から
91年 bQ5(ファーストカード)
91年 bP00
91年 bQ08

◆21 初芝清
ロッテ(89C〜05)
1732試合 1525安打 232本塁打 879打点 11盗塁 打率.265
打点王1回 ベストナイン1回 オールスター4回
▽89年ドラフト4位で、ロッテ入団。95年には打点王、ベストナインを獲得。長年ロッテのクリーンナップを任せられてきたが、近年はレギュラーからも外され、寂しい成績になってしまった。ただ、代打では今でも活躍。05年シーズン限りで引退。
 06年から解説者。ニッポン放送で声が聴けるが、Gyaoやスポーツアイのほうが我が家では見る回数(ラジオはあんまり付けないしな〜)が多いので、澤井、原
井、浜名といった選手のほうが私の中では身近である。


91年 bP36(ファーストカード)
94年 bQ6

◆22 伊良部秀輝
ロッテ(88@〜96)
−ヤンキース(97〜99)−エクスポズ(00〜01)−レンジャーズ(02)−阪神(03〜04)
273試合 72勝 69敗 11S 防御率3.55
最多勝1回 最多奪三振2回 最優秀防御率2回 ベストナイン2回 オールスター4回
▽ロッテ時代は先発として大活躍。ヤンキース移籍の際には、いろいろゴタゴタがあったが、二ケタ勝利。阪神時代も星野監督のもと、先発として二ケタ勝利。優勝に貢献した。晩年は、かなり苦労したようで、独立リーグに籍を置き、球界復帰をもくろんでいたようだ(結局、実現せず)。

左から
91年 bP44(ファーストカード)
91年 bQ09

ロッテオリオンズから千葉ロッテマリーンズにチームが変わった。

1992年(堀幸一園川一美平井光親)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆23 堀幸一
ロッテ(88B〜10)

2064試合 1827安打 183本塁打 810打点 133盗塁 打率.269
ベストナイン1回 オールスター2回
▽88年ドラフト3位でロッテに入団。ロッテ最古参。昨年は、1500試合出場達成。打率はあと一歩のところで、3割を逃した。一時期は2軍にいくことも増え、もう引退かと思われたが、近年復活し、05年は通算1500安打を目指す年となりそう。2000本は、ちと無理かな。サインは、出場機会が減った頃、千葉マリンスタジアムでもらった。
 05年も無事レギュラーで出場、しかも規定打席にも達して3割をマークした。1681安打だから、今季1800安打に達すれば名球界入りも見えてくるぞ。私もいつのまにか、テーマ音楽にあわせて掛け声をするようになっていた。
 07年には、試合出場が少ないながらも何とか1800本安打達成。10年で引退。


左から
92年 bW4(ファーストカード)
94年 bQ9

◆24 園川一美
ロッテ(86A〜99)

376試合 76勝 115敗 2S 防御率4.32
ダイヤモンドグラブ賞回 ベストナイン回
▽ファミスタで、ロッテを使うときは、この園川がいい味を出した。ベースギリギリを狙って好投した。他の選手と比べて特別数値がいいってわけではないが、なぜかよく抑えていた。
 園川が、新聞等で大きな扱いを受けたことといえば、イチローが200本安打したときの対戦ピッチャーだったときかな。この年、園川は18打数13安打と完全にカモにされていたっけ。また、96年には開幕投手を任されている。ただ、そのときには、対戦相手の王監督(ダイエー)に「開幕投手には格って言うものがあるだろう」っていうような感じで文句を言われていた。
 07年は2軍で若手を見ることになった。サインは埼玉浦和球場で。
 08年、コーチから球団職員に。


左から
92年 bW6(ファーストカード)
94年 bR4

◆25 平井光親
ロッテ(89E〜02)
1067試合 822安打 39本塁打 294打点 20盗塁 打率.272
首位打者 ベストナイン1回 オールスター1回

▽89年ドラフト6位でロッテ入団。長年ロッテの外野手として活躍していた。一番輝いていた年は91年。首位打者になり、また、ベストナインにも選出された。当時、ニュースステーションに出演し、峰竜太に似ているって久米さんに言われて恥ずかしそうにしていたのを思い出す。その後、コンスタントに成績を残し、98年には再び3割をマークし、打撃成績は2位だった(イチローがいたから残念だが、320は、首位打者を獲ったときよりも率は良かったんだよな)。サインは06年の6月に埼玉浦和球場で。もう、首位打者を獲ってから10年以上も経っているんだよね。08年、コーチから球団職員に。

左から
92年 bP96(ファーストカード)
97年 bU


1993年(
河本育之宇野勝)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆26 河本育之
ロッテ(92A〜99)−巨人(00〜04)−日ハム(04)−楽天(05〜07)
500試合 36勝 43敗 95S 防御率3.57
最多セーブ1回 オールスター2回

左から
93年 bQ5(ファーストカード)
94年 bR5

◆27 宇野勝
中日(77B〜92)−ロッテ(93〜94)
1802試合 1620安打 338本塁打 936打点 78盗塁 打率.262
本塁打王1回 ベストナイン3回 オールスター3回
▽彼のプロ野球界における貢献度で一番大きかったことと言えば、フライを捕球しようとしたところを、おでこに打球を当ててしまい、プロ野球珍プレー好プレーで紹介されたことであるだろう。面白いこともやるが、絶好調の時には手のつけられないぐらい活躍する、それでいて、たまにポカをする彼のプレーにファンも喜んだ。投げていたピッチャー(星野 仙一)は、グラブを投げつけていたっけ。ベンチに戻ってからは、怒られたんだろうね。ロッテに移籍するときは、地元銚子商業出身ということもあったので温かく迎えられたが、期待に応える事はできなかった。

93年 bV4(ロッテ移籍後最初のカード&唯一のカード)

1994年(M・ホール、)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆28 M・ホール
ロッテ(93〜94)−中日(95)
298試合 311安打 64本塁打 207打点 36盗塁 打率.278
▽ファミスタではよく打った(もちろん、実際にもよく打っていた)。中日移籍時は、もっと活躍できるものと思っていたが、ひざの故障が原因で、ほとんど試合に出られなかった。ホールズのCM曲が選手応援歌として使用されていたっけ。

94年 bR3(ファーストカード)

1995年以降は、コンプリートしているのですべての選手カードがあるはず!

1995年 なし〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1996年(
南渕時高E・ヒルマン)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆29 南渕時高
ロッテ(90C〜97)
−中日(98〜99)−オリックス(00)
824試合 538安打 22本塁打 201打点 21盗塁 打率.262
▽内外野どこでも守れ、器用な選手として活躍した。

左から
96年 bP05(ファーストカード)
97年 bP07

◆30 E・ヒルマン
ロッテ(95〜96)
−巨人(97〜98)
59試合 26勝 19敗 0S 防御率2.64
ベストナイン1回 オールスター1回
▽ロッテでの2年間は、ものすごい活躍。そんな選手が巨人にやってくるもんだからヤクルトファンの私としては、気が気でなかった。しかし、移籍後はやる気をなくしたのか、怪我なのかほとんど登板できずに引退。高額年棒だったが、それに見合う活躍はできなかった。

左から
96年 bP08(ファーストカード)


1997年(成本年秀黒木知宏仁村徹諸積兼司小坂誠キャリオン)〜〜〜〜〜〜〜

◆31 成本年秀
ロッテ(93A〜00)
−阪神(01〜02)−ヤクルト(03〜04)
271試合 26勝 20敗 83S 防御率3.33
最優秀救援投手賞1回 カムバック賞1回 オールスター3回

▽93年ドラフト2位でロッテに入団。1年目から主にリリーフで活躍。94年から96年までの3年間は、リリーフエースとして大活躍。特に、96年には最優秀救援投手賞を獲得。しかし、その後は登板機会が減り、1軍にも上がれない状態が続いていた。01年は阪神タイガースに移籍。野村監督が再びリリーフとして起用したら大成功。45試合に登板。3勝(1敗)20セーブを記録し、カムバック賞獲得。しかし、その後はまた、起用に恵まれず、03年にはヤクルトに移籍。ヤクルトではあまり活躍できなかった。その後は台湾・統一にも所属した。ロッテの2軍時代によく彼を見たのだが、こんなに調子もよく実績がありながら、何で1軍に呼ばれないか不思議に思った。だから、阪神に移籍したとたん大活躍したもんだから私はとっても嬉しかった。サインは、ヤクルト時代の02年に神宮球場横でもらった。
 06年にはヤクルトで投手コーチ。サインは2軍にいたときに埼玉浦和球場でもらった。
 08年は古巣ロッテに復帰。1軍ブルペンコーチを任される。


97年 bS3(ファーストカード)

◆32 黒木知宏
ロッテ(95A〜07)
199試合 76勝 68敗 1S 防御率3.43
最多勝1回 最多勝率1回 オールスター3回

▽95年ドラフト2位でロッテに入団。04年6月のダイエー戦で3年ぶりの勝利投手。今季は完全復帰が期待される。通算74勝(67敗)、最多勝、最高勝率賞をそれぞれ1回ずつ獲得している。ヒーローインタビューでは熱い男を演じている。ライトスタンドのファンは完全復活を待ってるよ。サインは00年シーズン中、試合前のマリンスタジアムでもらった。
 07年で引退。08年からは解説者として、ニッポン放送
などで声が聞ける。


左から
97年 bW8(ファーストカード)
98年 bV1(初版)
98年 E−35


◆33 仁村徹
中日(84A〜95)−ロッテ(96〜97)
1068試合 820安打 67本塁打 344打点 25盗塁 打率.273
1試合 1勝 0敗 0S 防御率0.00

▽入団時は投手。88年にはレギュラーとして活躍。チャンスに強く優勝に貢献。96年にロッテに移籍したが、将来的には中日に戻ってコーチをすることも決まっていたような。

97年 bP19(ロッテ移籍後最初のカード&唯一のカード)

◆34 諸積兼司

ロッテ(94D〜06)
1110試合 691安打 7本塁打 153打点 103盗塁 打率.263
▽94年ドラフト5位でロッテに入団。入団時に活躍したら、中山美穂と一緒にCMに出たいなんて事言っていたような。活躍しだしたのは2年目の95年からで、95年は打率ベストテン6位、99年には9位とまずまずの成績。若手の成長もあり常時出場は厳しいが、代走ばかりではつまらない。もっと出場して欲しい選手だ。サインは2軍にいるときにもらった。
 06年で引退。今後は、コーチとしてチームに残ることが決まった。バントコーチっていう肩書きがついたのには驚いた。引退試合後のセレモニーも楽しかった。
 08年は1軍に昇格。


左から
97年 bP32(ファーストカード)
97年 bQ07
99年 bQ12

◆35 小坂誠
ロッテ(97D〜05)
−巨人(07〜08)−楽天(09〜10)
1371試合 1069安打 19本塁打 303打点 279盗塁 打率.263
新人王 盗塁王2回 コールデングラブ賞4回 オールスター5回
▽97年ドラフト5位でロッテ入団。入団したときはあまり期待されていなかったが、開幕1軍スタメンでショートに抜擢される。以後、ロッテの名遊撃手として活躍。新人から5年連続で、規定打席到達。99年には、打率ベスト10に入った。97年新人王獲得。近年は若手の成長に伴い、出場機会が減っている。05年は西岡とのレギュラー争いに期待。
 サインはマリンスタジアム横でもらった。
 06年ジャイアンツへの移籍は本人にとって良かったと思う。今では仁志をベンチへ追いやり開幕からセカンドのポジションを確保している。昨シーズンは自己最高の成績を残した。ショート
でゴールデングラブ賞も獲ったぞ。

 07年に巨人に移籍、09年には楽天へと移籍して10年引退。育成コーチ就任。


左から
97年 bP69(ファーストカード)
98年 S−12
98年 E−33

◆36 キャリオン
ロッテ(97〜98)
189試合 202安打 22本塁打 114打点 11盗塁 打率.285

左から
97年 bP84(ファーストカード)
98年 bP10


1998年(フランコ立川隆史福浦和也クロフォード)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆37 フランコ
ロッテ(95)
−インディアンス−ブリュワーズ−ロッテ(98)
258試合 286安打 28本塁打 135打点 18盗塁 打率.298
ベストナイン2回 ゴールデングラブ賞1回

左から
98年 E−16(ファーストカード)
98年 bP09
98年 S−26

◆38 立川隆史
ロッテ(94A〜04)
−阪神(04〜05)
530試合 315安打 28本塁打 117打点 17盗塁 打率.236

▽94年ドラフト2位でロッテ入団。
 彼が輝いていたのは03年かな。外野のレギュラーに定着して、94試合に出場し、規定打席には達しなかったが、31打点をマーク。何せ、当時、諸積、大村、サブローらと外野のレギュラーを争っていたのだから。阪神に移ってからは、あまり活躍できなかった。
 サインは、00年2軍の練習場で。
K-1で活躍中(話題を提供中?)。


98年 E−17(ファーストカード)

◆39 福浦和也
ロッテ(97F〜現役)

▽94年ドラフト7位でロッテに入団。4年目から1軍に定着するようになり、翌年にはレギュラー定着。01年にはパリーグ首位打者になる(イチローが抜けた後の初めてのパリーグ首位打者)。その後もコンスタントに活躍。04年まで4年連続3割を記録している。昨年通算1000本安打を放った。韓国のスーパースターには負けていられない。
 サインは千葉マリンスタジアム横で、試合開始前にもらった。千葉マリンでの応援はこの選手のが一番かっこ
いいかな。


左から
98年 bP73(ファーストカード)
98年 E−34

◆40 クロフォード
ロッテ(98〜99)

19試合 5勝 7敗 0S 防御率5.06

98年 E−53(ファーストカード)

1999年(
藤田宗一ブレイディーボーリック)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆41 藤田宗一
ロッテ(98〜07)
−巨人(08〜10)−ソフトバンク(11)
600試合 19勝 21敗 8S 77ホールド 防御率3.89
▽98年ドラフト3位で、ロッテ入団。毎年、50試合以上登板し、中継ぎとして大活躍。00年には70試合登板し、パリーグの最多登板記録を樹立。最多ホールド賞も獲得。03年には、50試合登板をきってしまったが、04年には、再び62試合の登板。もう、ひと昔前の下柳(現阪神)のようだな。06年にはWBC選手にも選ばれたが、決勝のキューバ戦では大事なところで本塁打を打たれてしまった。
 サインは、00年マリンスタジアム横でもらった。
 07年は最悪のシーズンに。防御率は12点台。コーチ就任を要請されていたようだが自由契約となって、巨人へ。11年にはソフトバンクと育成選手として契約している。


99年 bP41(ファーストカード)

◆42 ブレイディー
ロッテ(99)

33試合 27安打 2本塁打 10打点 3盗塁 打率.267

99年 bQ15(ファーストカード)

◆43 ボーリック
ロッテ(99〜02)

424試合 384安打 92本塁打 288打点 5盗塁 打率.266

左から
99年 bQ50(ファーストカード)
01年 bT9
01年 bP16




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