プロ野球カードを語る


東北楽天ゴールデンイーグルス

2010年(T・リンデン藤原紘通J・モリーヨM・ブラウン内村賢介
聖澤諒川岸強)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆45 T・リンデン
楽天(09〜10)

126試合 113安打 17本塁打 55打点 打率.253
▽メジャー数球団でプレーした後、2009年シーズン途中から楽天に入団。7月2日からの出場ながら、打率2割9分2厘、12本塁打の好成績を残し、球団初のクライマックスシリーズ進出に大きく貢献する。セギノール、中谷との強力な下位打線で、3者連続本塁打を記録したりもしたが、試合前に顔に大きなアザを作って現れたり、バントの構えから故意にバットを引いてキャッチャーのマスクにバットをぶつけて乱闘寸前になったり(本人は故意を否定)、走塁の際に野手のグラブをひじ打ちではじき飛ばしたりするなど、素行面で問題を多く起こした。
 特に、2009年クライマックスシリーズ直前には、野村監督の采配を批判して登録抹消となっている。直後に、直接謝罪を申し入れたものの、Tシャツに短パン、サンダルのつっかけ姿で現れ、野村監督の逆鱗に触れている(再度の謝罪で第2ステージ直前に再登録)。
 そして、翌シーズンは開幕から打撃不振になり、ブラウン監督に対し「日本人の肩ばかり持つ。」などと采配批判を繰り返し、600万円の罰金を科され退団(実際に支払ったかは不明)。 現在はジャイアンツ傘下マイナーチームで打撃コーチを務めている。
 なお、ワシントン大学在学時代には、キューバとの親善試合の際にキューバ製葉巻を密輸入するなどして、退部処分を受けている。(H)


10年 bT9(ファーストカード)

◆46 藤原紘通
楽天(09@〜13)
22試合 6勝 8敗 17S 1H 防御率5.22
▽NTT西日本を経て、2009年にドラフト1位で楽天に入団。同年8月5日のオリックス戦で9回を1安打に封じ、準完全試合でプロ初勝利を記録するなど、5勝をマークし,クライマックスシリーズにも先発登板している。
 しかし、2年目以降は内側側副靭帯断裂による手術や、負傷離脱を繰り返して未勝利に終わり、2013シーズン限りで戦力外となった。
 現在は楽天の打撃投手を務めている。
 大成はできなかったが、入団1年目は緩急を駆使した投球で谷間のローテーションを担い、初のクライマックスシリーズ進出に貢献した。(H)


10年 bP55(ファーストカード)

◆47 J・モリーヨ
楽天(10〜11)
7試合 0勝 0敗 0S 防御率2.70
▽ロッキーズとツインズでプレーした後、2010年に楽天に加入。160キロを超えるストレートとの触れ込みであり、日本では160キロ台を計時することはなかったものの、150キロ台後半を計時するなど速球は前評判通りの威力を見せた。
 しかし、制球難、右肘の炎症により7試合の登板に終わる。
 球団は才能を評価し翌シーズンも契約を更新したが、東日本大震災が発生し、2011年3月に母国のドミニカに帰国、震災によって精神的なダメージを受けたという理由で退団を申し入れ了承される。
 台湾でのプレーを経て、現在はオリオールズ傘下マイナーチームでプレーしているという。(H)


10年 bP58(ファーストカード)

◆48 M・ブラウン
広島(92〜94)
257試合 235安打 50本塁打 165打点 打率.256
月間MVP1回 優秀JCB・MEP賞1回
▽現役時代は日本でもプレーし、引退後はアメリカマイナーリーグ、日本の広島で監督を務め、2010シーズンから楽天の監督を務める。
 内野5人シフトなどの攻撃的な采配を見せ、聖沢の打撃開花、片山、青山、小山を中心とした強力な救援陣の形成などで一定の成果を上げている。
 監督在任中はブラウン監督を模したマスコットも登場するなど球団との関係も良好であるかのように思われたが、Aクラス争いにすら絡めないまま1シーズン限りで退団している。
 アメリカ流の、投手陣の合理的な調整方法なども導入していたが、これは現在も球団に受け継がれ、層の薄い投手陣のけが人防止に効果を上げているという。(H)


10年 TM8(楽天移籍後最初のカード)

◆49 内村賢介
楽天(08育@〜12途)
−横浜(12途〜)
▽独立リーグ石川ミリオンスターズを経て、2008年楽天に育成選手として指名され入団。BCリーグ初のNPB入団選手となる。
 2008年7月には支配下選手登録され、8月3日にプロ初出場、何度かのスタメン出場も果たした。
 その後も準レギュラーとして一定の出場機会を確保し、2011年には123試合に出場している。
 バントはあまり得意ではなかったが、脚力を生かし、代走や守備固めでの出場が多く、内野だけでなく外野守備もこなすなど、野村監督には重要な場面でよく起用されていた。
 2012年に藤田一也とのトレードで横浜に移籍し、現在もプレーしている。
 仙台では渡辺直人や鉄平と並んで人気があった。(H)


左から
10年 bQ49(ファーストカード)
11年 bR1

◆50 聖沢諒
楽天(08大社C〜)
▽2008年國學院大學からドラフト4巡目指名で入団。
 大学時代は4番を務めており、打撃でも注目を集めていたが,プロでは当初は守備固めや代走での出場が主であり、重要な場面で盗塁を成功させるセンスについて野村監督に高く評価されていた。
 2010年にはブラウン監督に粘り強く起用されたこともあって、打撃面で開花、ほぼ年間を通して1番センターを務めている。
 2012年には盗塁王を獲得し、パリーグを代表するセンターとなるが、翌年島内がセンターに定着したこともあり、先発出場の機会を減らしている。
 2013年シーズン終盤は島内が故障したこともあり、先発で出場していたが、体調不良で離脱することも多く、体力面で不安を抱えている。
 「聖沢」という姓は,全国でも数世帯しかない珍姓であるという。(H)


左から
10年 bR4(ファーストカード)
11年 bQ52

◆51 川岸強
中日(04F〜06)−楽天(07〜12)
187試合 12勝 14敗 18S 27H 防御率4.27
オールスター1回
トヨタ自動車、中日を経て、2007年に楽天に入団。2007年仙台での開幕戦、岩隈が背中の違和感で一球も投げずに交代した際、リリーフとして登板し、七失点。緊急登板した影響か、もともと痛めていたヒジ痛を悪化させ、長期離脱となってしまった。翌2008年にはヒジ痛から回復し、54試合に登板、一軍に定着し、2009年クライマックスシリーズ進出にもリリーフ陣の一角として貢献した。2010年には開幕から抑えを任され、チームトップの13セーブをマークする。その後は再び怪我により一軍から遠ざかり、2012年に引退。2013年から球団職員兼球団ジュニアコーチを務めている。楽天在籍時には、球団創設期の貴重な戦力であり、珍しい速球派サイドとして野村監督には重要な場面でよく起用されていた。(H)

10年 bQ56(楽天移籍後最初のカード)

2011年(塩見貴洋ルイーズ岩村明憲戸村健次松井稼頭央美馬学)〜〜〜〜〜〜

◆52 塩見貴洋
楽天(11@〜)
▽大阪府出身。愛媛県の帝京五高、八戸大学を経て、ドラフト一位で2011年に入団。同年5月のプロ初登板で先発し、初勝利をマークする。100キロ台のカーブと最速150キロのストレートを軸に9勝を上げ、新人王は西武牧田に阻まれたものの、優秀新人賞を受賞した。故障で2013年には一軍で登板する機会が無かったものの、翌年ローテーションに復帰している。大学時代には「みちのくのドクターK」と呼ばれ、2010年明治神宮大会東北地区決勝の東北福祉大戦でノーヒットノーランも 記録している。2013年オフに結婚したが、2012、2013年と二年連続でバレンタインにはチームトップの数のチョコをプレゼントされていた。(H)

左から
11年 D6(ファーストカード)
11年 bP88

◆53 ルイーズ
楽天(10途〜11)−横浜(12)
151試合 113安打 20本塁打 60打点 打率.239
▽ツインズ、ブルージェイズでプレーした後、2015年5月に楽天に加入。メジャーでクリーンナップも務めた長打力を発揮して、81試合の出場ながら12本塁打場外本塁打も3本をマークした。守備は非常に心もとなく、普段は指名打者で出場している山崎武司が代わりに一塁を守るほどであった。翌年は開幕から打撃不振に陥り、シーズン途中で解雇され、その翌年横浜でもプレーしている。なぜか涌井を得意としており、2010年には11打数7安打、3本塁打を記録している。(H)

11年 C2(ファーストカード)

◆54 岩村明憲
ヤクルト(97A〜06)楽天(11〜12)ヤクルト(13〜14)
▽ヤクルト時代は球団史に残る活躍をし、レイズ移籍後もセカンドに定着したが、故障により2011年に日本球界に復帰した。しかし、怪我による後遺症のため、明らかなウエイトオーバーで本来の力を発揮できず、二割にも満たない低打率でもスタメンに起用され続け、よくヤジを飛ばされていた。
 試合前に球団が作成した岩村の人形を無料配布した際、ほかの選手は早々に在庫がなくなるのに対し、在庫が余って山積みになっていたことが印象深い。
 その後、楽天を2年で自由契約になり、ヤクルトに入団した。(H)


11年 bP08(楽天移籍後最初のカード)

◆55 戸村健次
楽天(10@〜)
▽立教大学で通算10勝をマークし、2010年のドラフト1位で楽天に入団。1年目から1軍で登板しており、2012年にはプロ初勝利を飾るが、この勝利は星野監督通算1000勝目であった。翌年も前半戦で4勝をマークし、序盤の苦しい投手陣を支えたが、その後は伸び悩んでいる。
 入団時から岩隈2世と言われており、将来性は評価されているが、明らかに適性のないリリーフに専念させられて調子を崩すなど、チーム事情に振り回されている感もある。(H)


11年 bP12(ファーストカード)

◆56 松井稼頭央
西武(94B〜03)
楽天(11〜)
西武、メッツ、ロッキーズ、アストロズを経て、2011年に楽天入団。入団直後に渡辺直人が放出されたこともあり、仙台のファンからは応援しづらい事情もあったが、ショートを一年間守り抜き、翌年からはキャプテンに就任するなど、チームの中心になっていた。打力も衰えは見られたものの、2012、2013年は日本人チームトップの本塁打数を記録し、チームの日本一に貢献した。2014年にはついに外野に転向したが、三割近い打率を残し、日米通算2500本安打を記録している。楽天で現在多用されている「バーン」のポーズをメジャーから持ち込んだのはこの人。(H)

左から
11年 bP13(楽天移籍後最初のカード)
11年 bP92

◆57 美馬学
楽天(11A〜)
中央大、東京ガスを経て2011年に楽天入団。一年目から中継ぎで好投していたものの、肘を痛めて離脱。翌年から肘への負担を考慮して先発に転向、2012年は一年間ローテーションを守り抜いた。翌年は右肘の状態が思わしくなく、シーズンでは6勝に留まったものの、ポストシーズンで3試合に先発、全て無失点に押さえ込み、日本シリーズ第七戦も含み3勝を記録して、日本シリーズMVPを獲得している。大学時代に肘を二度手術し、怪我や肘の違和感で離脱することも多く、年間通してコンスタントに活躍することは難しいが、好調時はエース級の投球を見せる。胴長で足が太くダックスフントに似ている体型から、田中将大に「ダックス」とあだ名を付けられて定着してしまった。顔は石川遼似。(H)

11年 bP91(ファーストカード)

2012年(
下柳剛釜田佳直銀次辛島航)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆58 下柳剛
ダイエー(91C〜95)−日ハム(96〜02)−阪神(03〜11)楽天(12)
627試合 129勝 106敗 22S 0H 防御率3.92
最多勝1回 月間MVP2回 オールスター5回 
ダイエー、日ハム、阪神で通算129勝をマークし、2012年には入団テストを受け楽天に入団。オープン戦で好投し、開幕ローテーション入りした。開幕から六試合に先発し、二敗を喫したところで登録を抹消される。この時点で引退を申し出たものの、星野監督に慰留され撤回、以降一軍では登板することがなく、シーズン終了後に自由契約となる。翌年はドジャース傘下マイナーからメジャーに挑戦したものの、引退。カードが発行された楽天では結局一勝もできなかった。仙台では単身赴任生活で、愛犬も関西の自宅に預けていた。(H)

12年 bP03(楽天移籍後最初のカード)

◆59 釜田佳直
楽天(12A〜)
金沢高校からドラフト2位で2012年に入団。一年目から二軍で好投し、5月に一軍昇格。阪神戦で初登板の試合に先発している。続く、ヤクルト戦で初勝利をマークし、6月の巨人戦でも完投勝利を記録した巨人戦で高卒新人が完投勝利を記録したのは、中日近藤以来25年ぶり二人目8月の日ハム戦では、高卒新人では松坂以来となるでの完封を記録するなど、7勝をマークした。球速も最速153キロを記録するなど、翌年以降の軸として期待されていた。しかし、翌年は右肘の疲労骨折で出遅れ、シーズン終了後には右肘の手術、2014年シーズン前にも右肘のトミージョン手術を受けるなど、一軍から遠ざかっている。中学時代に田中将大と斎藤佑樹の投げ合いを甲子園球場で観戦し、本人も甲子園には三年の春と夏に出場、夏の甲子園では現阪神の歳内に投げ勝ち、三回戦まで進出している。(H)

12年 bP70(ファーストカード)

◆60 銀次
楽天(06高B〜)
▽人口3000人の岩手県普代村出身初のプロ野球選手。入団時の姓は宇部であったが、家庭の事情により、現在の姓は赤見内である。盛岡中央高では主に捕手を務め、三年夏の県大会では甲子園には進出できなかったものの、打率七割五分を記録し、2006年ドラフト三巡目で楽天に入団。その後内野手に転向、2010、11年には二軍の規定打席には不足していたが、二年続けて特例措置でイースタンリーグ首位打者となる。2011年終盤から一軍に定着し、長打は少ないが、毎年安定した成績を残している。岩手県出身ということもあり、嶋や田中将大と並んで人気がある。(H)

左から
12年 bP72(ファーストカード)
13年 bT8

◆61 辛島航
楽天(09E〜)
福岡県出身。飯塚高校在学時に投手として、同校初の甲子園出場を果たしている。2009年ドラフト六位で楽天に入団、一年目から一軍で登板し、2012年には先発ローテーションに定着、2013年の日本シリーズでも好投した。球速は最高でも140前半程度で同じ左腕の塩見とは対照的な技巧派である。チーム内では、どんなスポーツもこなしてしまうため、天才と言われている。(H)

左から
12年 bP75(ファーストカード)
13年 bU0

2013年(
藤田一也枡田慎太郎ジョーンズ斎藤 隆森雄大マギー則本昂大)〜〜

◆62 藤田一也
横浜(05C〜12途)楽天(12途〜)
横浜から2012年途中にトレードで加入して、同年後半戦に二塁のレギュラーをつかんだ。守備には定評があるが、腰や足に古傷を抱えており、スタメンを外れたり途中で退くことも多い。2013年の日本シリーズ第五戦では試合中に足を痛めて交代した際、以前長期離脱したときと同じ痛みがあったため、翌日以降の出場ができなくなる不安で涙を流してしまったが、なんとか治療で翌日以降も出場することができた。打席で構える前に、イチローがやっているように右手でバットを垂直に立てる動作をしている。登場曲は「太陽に吠えろ」。(H)

左から
13年 bT5(楽天移籍後最初のカード)
13年 bQ12

◆63 枡田慎太郎
楽天(06高C〜)
智弁学園から楽天に入団。二年目には早くも一軍で安打を記録する。その後、守備の拙さから一軍に定着できなかったが、星野監督に抜擢され一軍に定着。長打を期待できる貴重な選手だが左腕に弱く、好不調の波も大きい。同期で同い年の銀次とは互いにライバル視した発言が多い。(H)

13年 bT5(ファーストカード)

◆64 ジョーンズ
楽天(13〜)
▽ブレーブス、ドジャース、ヤンキースなどでプレーし、2013年に楽天に入団。キャリア後半の極端な衰えがなければ殿堂入りしていたスーパースターだった。楽天入団後はほぼ全試合に四番で出場し、日本一に貢献した。日本シリーズでは、ビジターでの試合でレフトを銀次が守る予定だったが「俺のほうが上手い」と言い出して代わりにレフトで出場、確かに銀次より上手かったが、大舞台の経験が少ない銀次に守備での負担を掛けないよう配慮しての発言だった。ブレーブス時代に、日本でプレーしていたクラレンス・ジョーンズの指導を受けており、打撃成績、打撃スタイルが酷似している。(H)

左から
13年 bP38(ファーストカード)
13年 AS23

◆65 斎藤 隆
横浜(92@〜05)
楽天(13〜)
横浜、ドジャース、レッドソックス、ブレーブス、ブリュワーズ、ダイヤモンドバックスでプレーし、引退も考えていたが2013年に日本球界に復帰。実家が宮城球場の近くで、東北高校では二年先輩に佐々木、葛西がいた。元々右投げ左打ちの一塁手だったが、東北福祉大時代に投手に転向している。日本球界復帰後は登板間隔を開けながら重要な場面で起用され、苦しい投手陣を支えた。2014年には最年長でのセーブ記録を更新している。(H)

13年 bP41(楽天移籍後最初のカード)

◆66 森雄大
楽天(13@〜)
福岡県出身。東福岡高校から楽天にドラフト一位で入団。2014年には、4月24日の西武戦でプロ初勝利を記録、10代で勝利を挙げたのは球団では田中、釜田に続いて三人目だった。(H)

13年 D10(ファーストカード)

◆67 マギー
楽天(13)
144試合 150安打 28本塁打 93打点 打率.292
ベストナイン1回
ブリュワーズでモッカ監督に抜擢され、2010年には23本塁打を記録するなど主軸を務めた。2013年に楽天に入団、チームトップの28本塁打を記録、チームの日本一に貢献した。長男のマッケイル君はよく球場に来ていたが、先天性の脳障害を患っており、治療環境の問題から一年でアメリカに復帰した。2014年に移籍したマーリンズでは開幕から四番サードで起用されている。(H)

13年 bQ11(ファーストカード)

◆68 則本昂大
楽天(13A〜)
八幡商業から今は廃校となった三重中京大学を経てドラフト二位で入団。大学リーグ戦通算成績は33勝0敗、防御率0.56だった。投手陣の層が薄いこともあり、パ・リーグでは杉浦忠以来58年振りの新人開幕投手となる。登板を重ねる毎に投球内容が安定し、15勝を挙げ、クライマックスシリーズ、日本シリーズでも好投した。2014年もほぼ年間を通してローテを守り、シーズン7完封を記録している。(H)

13年 S67(ファーストカード)

2014年(松井祐樹岡島豪郎
後藤光尊ユーキリス福山博之ボウカーファルケンボーグ)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆69 松井祐樹
楽天(14@〜)

桐光学園からドラフト一位で入団。高校時代には、甲子園で十連続奪三振、一試合22奪三振などの記録を残している。ルーキーイヤーは4勝に終わったが、チーム状況に影響された面もあり、高卒ルーキーとしては上々だった。上背がない速球派左腕、制球が不安定という点で、どうしても東北高出身の高井雄平を思い出してしまうが、後半戦は制球も安定し、ビッグイニングを作る傾向も無くなっていた。元巨人の堀内が記録したドラフト導入以降高卒新人の連続無被本塁打記録を更新している。(H)

左から
14年 bP(ファーストカード)
14年 S25

◆70 岡島豪郎
楽天(12C〜)

白鴎大からドラフト4位で入団、捕手としての能力も高かったが、嶋が常時レギュラーとして出場していたため、出場機会が少なかった。2013年の七月には、決起集会の際に「どこでもいいから使ってください」と星野監督に直訴、後半戦から外野手のレギュラーに定着する。打撃は粘り強く、俊足を活かした内野安打が多い。マネーボールを標榜する球団方針からか、投手に多くの球数を投げさせる打撃スタイルで、盗塁は試みること自体が少ない。入団時に愛用の抱き枕を持って入寮したことから、枕の商品名である「ジェシカ」と呼ばれるようになった。女性ファンからの人気が高い。(H)

左から
14年 bS(ファーストカード)
14年 bP73


◆71 後藤光尊
オリックス(02I〜13)−
楽天(14〜)
鉄平とのトレードで加入。オリックス時代から悪球打ちで四球が少なかったが、楽天入団後はその傾向が悪化、2014年には四球は一つのみだった。出身である秋田高校は県内有数の進学校。(H)

14年 bW5(楽天移籍後最初のカード)

◆72 ユーキリス
楽天(14)
レッドソックス、ホワイトソックス、ヤンキースでプレーし、2014年に来日。開幕戦で本塁打を放ったが調子が上がらず、五月に足の負傷により、離脱。そのままアメリカから戻らずシーズンを終えている。アメリカでは「四球のギリシャ神」と呼ばれ、ギリシャ風の姓であるように見えるが、実際はルーマニア系ユダヤ人。(H)

14年 bW6(ファーストカード)

◆73 福山博之
横浜(11E〜12)−楽天(13〜)
島根県出身。大東高校、大阪商大を経て、横浜にドラフト6位で入団。大学時代には近所の公園で偶然出会った、横浜の外野手金城の叔父からトレーニングを受け、球速が大幅にアップ、大学四年間で17勝を記録した。横浜でも一年目から一軍で登板するが、身体能力の高さと身長が低かったことから球団に野手転向を指示される。本人がこれを固辞したため二年間で自由契約となるが、楽天に拾われ一軍に定着する。楽天入団後は中継ぎでよく登板し、2014年にはオールスターにも選出された。俊足で、2013年には代走でも起用されている。北島三郎に顔が似ていることからあだ名は「サブ」。(H)

14年 bP75(ファーストカード)

◆74 ボウカー
巨人(12〜13)−楽天(14途〜)
ジャイアンツやパイレーツなどでプレーした後、楽天が獲得を狙っていたが、2012年に巨人に入団。二年間プレーした後楽天に再度打診され入団。加入直後は長打力を発揮していたが、徐々に当たりが止まり、九月には見切られてしまった。(H)

14年 CL1(ファーストカード)


◆75 ファルケンボーグ

ソフトバンク(09〜13)−
楽天(14〜)
2008年オフに楽天が獲得を狙ったが、争奪戦の末ソフトバンクに入団した。メジャーでの実績は少ないが、強力な救援陣「SBM」の一角として活躍した。2014年、六年越しの獲得打診により楽天に移籍し、連投すると極端に球威が落ちるなどの弱点は相変わらずだったがまずまずの成績を残した。(H)

14年 SH1(楽天移籍後最初のカード)



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