プロ野球カードを語る


埼玉西武ライオンズ
 このコーナーを作成するときは、正直「手ごわいなぁ」と思っていた。地方版が多いし、移籍選手だって他の球団よりも知らないし、あんまり集まってないだろうと…。2013年11月現在で、所持していない選手のカードはない。また、ファーストカードを持っていない選手も、あと1名。あと数年でなんとか揃えたいね。

◆チーム名称の変遷
西鉄クリッパース(1950年)
西日本パイレーツを吸収合併
西鉄ライオンズ(1951年 - 1972年)
太平洋クラブライオンズ(1973年 - 1976年)
クラウンライターライオンズ(1977年 - 1978年)
西武ライオンズ(1979年 - 2007年)
埼玉西武ライオンズ(2008年 - 現在)

◆年代別考察とカード化された選手について
1973年(東尾修加藤初基満男竹之内雅史東田正義稲尾和久田中章石井茂雄菊川昭二郎梅田邦三J・ビュフォード福富邦夫片岡新之助)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆1 東尾修
西鉄・太平洋・クラウン・西武(69〜88)
CARD歴 太平洋・クラウン・西武(73〜77、79〜80、82〜88)
▽西鉄・太平洋・クラウン・西武時代に弱いチームを支えた大エース。通算251勝247敗23セーブ。私は、彼の現役の頃の記憶が少しだけある。また、謹慎処分を受け、投げられなかった時期があった。森監督から監督を引き継いだわけだが、ちょうどチームの変革期にあったため、気の毒な気がした。石毛が去り、辻、平野、秋山、工藤と次々に主力選手が移籍したり、引退したりしたが、3年目にはパリーグ制覇。若手も育ち、見事に指揮官として役割を果たした。監督は7年間務め、伊原監督に引き継いだ。現在は野球解説者。娘もプロゴルファーとして有名になった(石田純一との結婚には反対していたが…)。
 98年高知県春野町で行われた春季キャンプのときに初めてサインをもらう。


左から
73年 bX4(ファーストカード)
73年 bP12
73年 bP21
73年 bQ68

◆2 加藤初

西鉄・太平洋(72外〜75)−巨人(76〜90)
CARD歴 太平洋(73〜75)−巨人(76〜78、83、87)
▽入団72年に17勝を挙げ新人王、巨人に移籍した76年に最優秀勝率のタイトルをそれぞれ獲得している。オールスターゲームにも6度出場し、76年には対広島戦でノーヒットノーランの快挙を成し遂げている。89年からは巨人で選手兼任コーチを務め90年に現役引退。その後はフジテレビやニッポン放送の野球解説者95年からは西武のコーチに就任し2000年からは西武の球団フロントに入った。
 現役時代は「鉄仮面」というあだ名がつけられた。
 07年は韓国・SKでコーチ。サインは、高知市営球場で、古いジャイアンツ時代
のものにもらった。

左から
73年 bX8(ファーストカード)
73年 bP19
73年 bP23

◆3 基満男
西鉄・太平洋・クラウン(66〜78)−大洋(79〜84)
CARD歴 太平洋・クラウン(73〜74)大洋(79、81〜83)

▽彼の現役の頃の記憶は、少しある。大洋でセカンドを守っていた。木豊がレギュラーになるまで、セカンドを守っていたのは、この基だった。ただ、残念ながらファミスタには名前がない。入団は西鉄。太平洋・クラウンを経て79年に大洋へと移籍。通算1914試合出場 1734安打 189本塁打 672打点 .279
 西鉄時代は、いろいろあったが、セ・パ両リーグでベストナイン獲得、オールスターにも選出されている。また、プロ野球通算3万号本塁打を打ったのは彼。
 大洋、日ハムのコーチ後、テレビ神奈川などのテレビ
解説者として活躍していた。


左から
73年 bP02(ファーストカード)
73年 bP17(修正前)
73年 bP17(修正後)
73年 bQ63

◆4 竹之内雅史
西鉄・太平洋・クラウン(68B〜78)−阪神(79〜87)
CARD歴 太平洋・クラウン(73〜74)−阪神(79〜80)

▽西鉄にドラフト3位で入団。77年には26本塁打を放つ。79年に、田淵・古沢−真弓・竹之内・若菜・竹田の交換トレードで阪神タイガースに移籍。移籍した79年には25本塁打を叩き出した。通算166死球は日本記録。引退後は、阪神の打撃コーチになったが吉田監督の起用法に反発し、87年シーズン途中に辞任。
 その後、台湾でもコーチをしている。阪神時代に肋骨を折る大怪我をしている。西鉄出身の選手らしく?豪快なバッティングフォームだった。


左から
73年 bP06(ファーストカード)
73年 bP15(エラー版)
73年 bP15(修正版)
73年 bQ64

◆5 東田正義
西鉄・太平洋(68A〜74)−日ハム(75)−阪神(76〜77)
CARD歴 太平洋(73〜74)−日ハム(76)

左から
73年 bP09(ファーストカード)
74年 bP36

◆6 稲尾和久
西鉄・太平洋(56〜69)

CARD歴 太平洋(73)

左から
73年 bQ61(ファーストカード)
73年 bQ62

◆7 田中章
巨人(69A〜70)−西鉄・太平洋(71〜75)−大洋(76〜77)
CARD歴 太平洋(73〜74)
通称「七色」。千葉経済大学付属高校から日本通運浦和に入社。67年、近鉄バファローズのドラフト4位指名を拒否。69年、ドラフト2位で読売ジャイアンツに入団。
 71年、広野功・浜村孝との3対2の交換トレードで、高橋明・梅田邦三と共に西鉄ライオンズに移籍。
 73年、太平洋クラブライオンズで先発として定着。「七色の変化球」で投手陣を支えた。


左から
73年 bQ70(ファーストカード)
73年 bQ71
73年 bR22
74年 bP42

◆8 石井茂雄
阪急(57〜72)−太平洋・クラウン(73〜78)−巨人(79)
CARD歴 太平洋(73〜74)

73年 bQ72(ファーストカード)

◆9 菊川昭二郎
近鉄(63〜67)−西鉄・太平洋(68〜74)−ロッテ(75〜76)
CARD歴 太平洋(73〜74)

左から
73年 bQ73(ファーストカード)
74年 bP43


◆10 梅田邦三
巨人(69〜70)−
西鉄・太平洋(71〜75)−中日(76〜80)−日ハム(80途)
CARD歴 太平洋(73〜74)

左から
73年 bQ74(ファーストカード)
74年 bR89

◆11 J・ビュフォード
太平洋(73〜75)−南海(76)
CARD歴 太平洋(73〜74)

左から
73年 bQ75(ファーストカード)
73年 bQ76
74年 bP31
74年 bQ50

◆12 福富邦夫
アトムズ(65〜72)−太平洋(73〜74)−ヤクルト(75〜80)
CARD歴 太平洋(73〜74)−ヤクルト(75)

左から
73年 bQ77(ファーストカード)
74年 bP35


◆13 片岡新之助
西鉄・太平洋(70D〜75)−阪神(76〜80)−阪急(81〜86)
CARD歴 太平洋(73)−阪神(77〜78)

73年 bQ78(ファーストカード)


1974年(
F・O・ハワード)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆14 F・O・ハワード
太平洋(74)
CARD歴 太平洋(74)
▽メジャーリーグでは、本塁打王2回、打点王1回と、華々しい実績を引っ提げて太平洋に入団したが、開幕戦に3打席立っただけで退団してしまうというダメ助っ人の1人。
契約を結ぶ時から故障を持っていたようだ。

74年 bV0(ファーストカード)

1975年(江藤慎一土井正博M・アルー白仁天)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆15 江藤慎一
中日(59〜69)−ロッテ(70〜71)−大洋(72〜74)−太平洋(75)〜ロッテ(76)
CARD歴 大洋(74)−太平洋(75)
▽通算2057安打。入団は中日。1年目にいきなり全試合に出場し、打率2割8分1厘、ホームラン15本という好記録を出した。彼は中日時代(64年、65年)とロッテ時代(71年)と3回も首位打者を獲得している。特に、64年・65年には、あの読売巨人軍の王貞治選手と激烈な首位争いを演じ、2年連続で王選手に打ち勝って獲得したもの。中日時代は捕手、ロッテ、クラウン時代は外野手だった。このカードが出されたときには、監督兼選手として活躍。結局ライオンズの監督は1年で終わってしまったが、3位でシーズンを終えた。

左から
75年 bU24(太平洋移籍後最初のカード)

75年 bW60
75年 bQ98

◆16 土井正博
近鉄(61〜74)−太平洋・クラウン・西武(75〜81)
CARD歴 近鉄(73〜74)太平洋・クラウン・西武(75〜76、79〜80)
▽入団は、61年近鉄。「18歳の4番打者」のキャッチフレーズで、鮮烈デビューした。75年、太平洋クラブ誕生とともに、移籍。75年こそ3位になったものの、翌年から6位、6位、5位、6位。田淵が阪神から移籍してくるまで、弱体チームの4番を任されていた。
 私は、現役の頃の記憶が無い。昔の選手名鑑を見ると、髭がすごいことになっている。本塁打王1回、通算2452安打、465本塁打、オールスター15回、最優秀指名打者1回って具合で大打者だ。そういえば、「頑張れタブチ君」の漫画にも顔を出していたな。
 04年に久々の現場復帰。第2の松井稼(現メッツ)を育てて欲しい。西武の背番号3は、重みがある番号だね。
 08年9月、ドリームベースボールのイベントで、磐田市にやって来たときに、サインをもらった。丁寧に名球会って書いてくれたっけ。打席には1打席立ったが、初球を打って凡退。ライオンズのコーチ復帰もまだあるだろう。


左から
75年 bU28(太平洋移籍後最初のカード)

75年 bV77
75年 bQ09

◆17 M・アルー
太平洋(74〜76)
CARD歴 太平洋(75〜76)

左から
75年 bX15(ファーストカード)
76年 bT42 打者アルー

◆18 白仁天
東映・日拓・日ハム(62〜74)−
太平洋(75〜76)−ロッテ(77〜80)−近鉄(81)
CARD歴 太平洋(75〜76)

左から
75年 bP43(ファーストカード)
75年 bP98
76年 bR49

1976年(関本四十四大田卓司吉岡悟)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆19 関本四十四
巨人(68I〜75)太平洋(76)−大洋(77〜78)

▽ラジオ日本の解説者。ズバズバと若手に厳しい解説は、ときどき驚いてしまうが、ジャイアンツへの熱い思いを表しているのだろう。
 入団は68年にジャイアンツ。4年目に10勝をあげ、新人王を獲得している。しかし、その後はあまり活躍できず、76年には太平洋、77年には大洋へ移籍。通算27勝の短くて太い現役生活だった。


左から
76年 bR08(太平洋移籍後最初のカード)
76年 bS09

◆20 大田卓司
西鉄・太平洋・クラウン・西武(69〜86)
▽69年西鉄に入団。最優秀指名打者を1回受賞。通算打率.267 923安打 171本塁打。弱いチームを支えた。西鉄時代から、太平洋、クラウン、西武一筋にずっといたのは、東尾と、この大田のみ。ダイエーでは90年に打撃コーチ就任。
 特筆すべきは、83年の日本シリーズMVP。コーチ時代には、小久保を育てた。
 07年は韓国球団SKのコーチ就任。07年2月、私は高知を訪れ、韓国SKチームのキャンプを取材した。そのとき、彼にサインをもらった。また、SKチームの有望選手を聞くと、丁寧に教えてくれた。サインをしてもらったボールは当然、わが家の殿堂入りだ。
 同年8月、私がSKの本拠地・仁川の球場を訪れたとき、春に高知を訪れたことを覚えていてくれ、バックネット裏のチケットをプレゼントしてくれた。08年からヤクルトで打撃コーチ。
 太平洋時代のユニフォー
ムはユニークだな。前面に大きな数字が描かれている。


左から
76年 bV03(ファーストカード)
76年 bX78
76年 bP312

◆21 吉岡悟
ロッテ(68〜74)−太平洋・クラウン(75〜79)−日ハム(79途〜81)

▽76年のクラウンライターライオンズは最下位に甘んじたが、この吉岡選手だけは1番バッターとして活躍。68年に東京オリオンズ(現ロッテ)入団。75年、太平洋(現西武)に移籍。太平洋移籍2年目の76年には、.309の低打率ながらも首位打者を獲得し、ベストナインにも選ばれたが翌年以降は元の控えに逆戻りし、5年後の81年に日本ハムで現役生活を終えた。


左から
76年 bX99(ファーストカード)
76年 bP112
76年 bP202

1977〜78 なし〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1979年(野村克也田淵幸一森繁和松沼博久)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆22 野村克也
南海(54〜77)−ロッテ(78)−西武(79〜80)
▽私は彼の現役時代を知らない。最初の記憶と思われるのは、テレビ朝日の解説者として「野村スコープ」を使って、画面上で配給を詳しく説明している様子だ。
 90年にヤクルト監督就任。92年、93年、95年、97年とセリーグ制覇。うち、3度の日本一を達成する。就任した年は5位。ヤクルトファンの当時の私としては「どうして池山が8番打つの? どうして栗山や笘篠を使わないの? 一茂をもっと使って欲しいな」と不満があった。前任の関根監督が自由に指揮していたのと違い、理詰めでいく采配に疑問を持ったこともあった。しかし、この年以降の強いスワローズを築き上げたのは彼の功績。なんといってもはじめのドラフトで古田、西村を獲得したのはかなり大きかった。就任したときのキャンプでまず、キャッチャーの適正を調べた。当時は、八重樫、秦、君波、飯田、古田、中西、野口といたが、開幕は秦、次第に古田の出番が増えた。また、開幕戦は投手内藤だったが、篠塚からライトポール際に疑惑のホームランを打たれ、悔しい敗戦。90年は結果5位と低迷したが、その後につながる選手起用をしていたんだなと後で分かった。飯田、秦の捕手から野手へのコンバート、西村、川崎、加藤、山田、内藤といった、若手投手を先発に起用。92年、93年はほぼ固定メンバーで戦うことができた。広沢を軸に、池山、ハウエル、秦、古田、荒井と強力打線。日本シリーズも西武ライオンズに勝って見事日本一。私は大学の生協でこの瞬間を確認することができた(ちなみに、92年のシリーズは駅前のマキヤのテレビで見ていた)。94年は3連覇がかかっていたが、開幕早々古田がリタイア。結局4位。95年はもうファンをやめようと思ったくらい開幕前から戦力に不安があった。前年まで4番、5番を打っていた広沢、ハウエルが巨人に移籍。代わりに阪神、ロッテからオマリー、ミューレンを獲得。期待はできなかった。長身のブロスなんて、ユマキャンプでのテスト合格で、選手名鑑にも間に合わなく載っていないので、こちらも同様、期待はできなかった。西村は開幕直前にトレードで近鉄に行っちゃうし、古田もオープン戦で骨折。いいことがまるでなかった。開幕試合は巨人の斎藤雅に完封負け。しかし、翌日、先発桑田が完投勝利ペースだったが飯田に頭部死球を与え、危険球退場になってからスワローズに勢いが出てきた(と私は思っている)。結局新外国人の大活躍で優勝。この3人がフェンスに登ってファンの声援にこたえていた姿が思い出される。97年の開幕前も、95年と似ていた。開幕戦で広島から移籍した小早川の3打席連続ホームランでその勢いのまま優勝。阪神の監督になってからはさまざまな話題は提供するものの連続最下位。でも、私の中では弱小チームを率いて3度の日本一は素晴らしいと思った。最高の監督だ。
 06年は楽天の監督に就任。とにかく、私は彼の意地が見たい。もっと意見を言うと、3位になって、プレーオフに進出し、パリーグで優勝。そして、日本一になってほしい。
 と記述していたが、最終年はパリーグで2位。惜しかった。


左から
79年 君が選ぶスターは誰だ(西武移籍後最初のカード)
79年 4月 第12位
79年 5月 第36位

◆23 田淵幸一
阪神(69〜78)−西武(79〜84)

▽阪神時代は知らないが、西武時代の田淵は記憶にある。4番を打っていたけれども怪我が多く、おまけに足は遅く太っていてあまりかっこいい選手ではなかった。滞空時間の長いホームランに特徴があった。晩年のある年には、4・5月に調子がよくてホームラン王をとるのではと思われたが、死球で怪我をし、その後ぱっとせずというシーズンがあったような…。
 ダイエーの監督をしていたときは成績がひどすぎた。しかし、そんなことに触れるマスコミも少なくなった。
 02〜03年には阪神タイガースの打撃コーチ就任、星野監督をサポートし、見事リーグ優勝した。がんばれタブチくんでは、彼のキャラ
クターを十分出しているね。


左から
79年 君が選ぶスターは誰だ!(西武移籍後最初のカード)
79年 4月〜6月 第1位
79年 10月 第14位

◆24 森繁和
西武(79@〜88)
 西武時代の活躍といい、コーチぶりといい、しばらくは、西武ライオンズでのコーチが長くなるんじゃないかなって思っていたけれど、00年に日ハムへ移籍。また、02年には森監督率いる横浜へと移籍。04年からは中日でコーチをすることとなった。77年にはロッテに1位指名されるも入団拒否。79年にライオンズに入団。
 私の記憶では、西武ライオンズで抑えをやっていたのが一番古いものである。
 最優秀救援1回、オールスター2回。通算57勝62敗82セーブ 防御率3.73


左から
79年 4月〜6月 第5位(ファーストカード)
81年 bP34
81年 bP64
81年 bQ38

◆25 松沼博久
西武(79外〜90)

左から
79年 7月 選外(ファーストカード)
79年 79’タイトルホルダー
80年 bP6(枠無し)
80年 bT0(大型版)



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