プロ野球カードを語る


埼玉西武ライオンズ
 1

1980年(山崎裕之立花義家)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆26 山崎裕之
ロッテ(65〜78)−西武(79〜84)

左から
80年 bQ16
81年 bS0
81年 bV5
81年 bR15

◆27 立花義家
クラウン・西武(77〜91)−阪神(92)

左から
80年 bQ18(ファーストカード)
81年 bU9
81年 bP33
81年 bR77

1981年(
岡村隆則石毛宏典駒崎幸一松沼雅之)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆28 岡村隆則
西武(81A〜88)
▽カードの入手には困難を要した。同年に発行された石毛、駒崎は、よく見かけるのに、この岡村だけは、2013年まで見たことがなかった。単なるめぐり合わせだけかと思うけれど。

81年 bS2(ファーストカード)

◆29 石毛宏典
西武(81@〜94)−ダイエー(95〜96)
 81年ドラフト1位で西武ライオンズ入団。ちょうど、私が野球に興味を持った頃に入団したもんで、思い入れも強い。セリーグは原、パリーグはこの石毛が新人王を獲得した。MVPも86年に獲得。記録もさることながら、チームリーダーとしての貢献が多く、年棒も西武ライオンズ初の1億円。しかし、94年シーズンオフ。一転、ライオンズを退団。FA宣言し、現役続行で、ダイエーに移籍。私は、最後までライオンズにいてもらいたかった。これ以後、ライオンズは、最強とまで言われた選手をことごとく他チームに放出。
1番石毛(ダイエー)2番平野(ロッテ)3番秋山(ダイエー)4番清原(巨人)5番デストラーデ(米マーリンズ)6番安部(近鉄)7番伊東(この選手だけ最後までライオンズに残る)8番辻(ヤクルト)9番田辺(巨人)、投手でも石井丈、新谷(日ハム)工藤(ダイエー→巨人)渡辺久(ヤクルト)……。強いチームの選手は、そのまま強いチームに残って欲しかった。また、ダイエーに移籍しても、2000本安打を達成してもらいたかった。結局、ダイエーでは全くといっていいほど活躍(っていうか試合に出られなかった)できなかった。また、ファミスタでも私はいつもこの石毛を1番で使いたかったんで、打順をいじれるときは1番石毛にしていた。ちなみに、4番は清原。何か、西武ライオンズはこのスタイルだみたいなのが私の頭の中にはいつもあった。だから、ダイエーのベンチの中にいる石毛がテレビに映ると「何で、王監督は使ってくれないんだろう」って、私は悩んでいた。
 サインは、99年のダイエーキャンプで評論家として訪れていた彼を見つけて、頼んで書いてもらった。
 オリックスでの監督生活については、もう少し時間が
たってから述べようと思う。


左から
81年 bS3(ファーストカード)
81年 bU3
81年 bP31
81年 bP35

◆30 駒崎幸一
西武(81外〜89)−大洋(90〜91)

81年 bS5(ファーストカード)

◆31 松沼雅之
西武(79外〜89)

左から
81年 bT1(ファーストカード)
81年 bR20
82年 bR3
82年 bU0

1982年(永射保テリー)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆32 永射保
広島(72〜73)−
太平洋・クラウン・西武(74〜86)−大洋(87〜88)−ダイエー(89〜90)

左から
82年 bP11(ファーストカード)
82年 bP85
82年 bQ57

◆33 テリー
西武(81〜83)

左から左から
82年 bP18(ファーストカード)
82年 bP71
82年 bQ53

1983年(片平晋作工藤公康)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆34 片平晋作
南海(72C〜81)−西武(82〜86)−大洋(87〜89)

 久々の現場復帰、それも2軍監督だ。これまでも、埼玉浦和球場や戸田球場で彼の姿を見ていたが、背広姿だった。現役時代は思い切りのよいフルスイングでの一本足打法が魅力的だった。初期ファミスタでも登場しているのは嬉しいね。ただ、これまでカルビーのカードを持っていなかったので、サインはいつもサイン帳にもらっていたっけ。

左から
83年 bP87(西武移籍後最初のカード)
83年 bQ98
83年 bU37

◆35 工藤公康
西武(82E〜94)−ダイエー(95〜99)−巨人(00〜06)−横浜(07〜09)−西武(10)

左から
83年 bP94(ファーストカード)
84年 bR26

1984年(スティーブ江夏豊杉本正)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆36 スティーブ
西武(80途〜85)

左から
82年 bV6(ファーストカード)
84年 bV12


◆37 江夏豊
阪神(67@〜75)−南海(76〜77)−広島(78〜80)−日ハム(81〜83)−西武(84)
▽野村監督を師と仰ぐ。野村監督が解任されたときに、自らトレードを志願した。
 入団は、阪神タイガース。その後、江本らとのトレードで南海へ。南海から広島、日ハムと優勝を経験するもトレードで移籍した。81年の日本シリーズでは、ジャイアンツとの日本シリーズに出場。このときが、私の一番古い記憶だと思う。大沢監督が退任するとともに、今度は、西武ライオンズへ。ライオンズでは、シーズン中なのに、監督といろいろもめているところが連日報道されていた。なかなか登板機会を与えられないまま退団。春には大リーグの入団テストを受けるも、最終テストまで残ったが採用されず、そのまま引退した。01年の高知での秋季キャンプで彼を見かけたぞ。たくさんの報道陣に囲まれていたっけ。


左から
84年 bV8(西武移籍後最初のカード)
84年 bQ01

84年 bQ76


◆38 杉本正

西武(81B〜84)−中日(85〜89)−ダイエー(90〜93)

▽出身は御殿場西高。大昭和製紙を経て、81年西武入団。先発、中継ぎなどで活躍。通算81勝90敗2セーブ。
 プロ入り初登板完封勝利を挙げている。オールスターにも3回出場。中日時代の86・87年には連続二ケタ勝利。完封勝利が17もある。


左から
84年 bQ06(ファーストカード)
84年 bR15

1985年(田尾安志郭泰源秋山幸二)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆39 田尾安志
中日(76@〜84)−
西武(85〜86)−阪神(87〜91)
▽私の記憶にある一番古いものは、82年の首位打者争い。大洋の長崎と激しく争っていたが、四球攻めに遭い2位。確か、あまりの四球の多さに、完全なボール球をわざと空振したこともあった。
 それまでも、人気はあったが、この出来事で更に人気が上がったように思う。その後、西武へとトレードされたが、このときは、中日新聞の不買運動まで起こった。
 西武では、85年前半戦かなり調子がよく、かっ飛ばしていたが、徐々に調子を落としていって、2年で退団。阪神へとトレードに出された。阪神でも、調子がいいときは1年間レギュラーとして活躍したこともあった。91年に引退。
 新人王、ベストナイン3回、オールスター7回。シーズンサヨナラ本塁打3本って年もあった。
 長く、ニッポン放送やフジテレビ等で解説者として活躍していたが、05年に楽天の監督に就任。しかし、1年で退団。
 後任が野村監督、星野監督とビックネームだけに、楽天のことについてコメントしづらいように思う。


左から
85年 bV5(西武移籍後最初のカード)
85年 bP56
85年 bQ34

◆40 郭泰源
西武(85〜97)


左から
85年 bP46(ファーストカード)
86年 bP10

◆41 秋山幸二
西武(81外〜93)−ダイエー(94〜02)

 かっこよかった。キャンプではあまり練習していなかったのが印象に残る。いつのキャンプに行ってもベテランメニューをこなしているのかゆっくりとした動きをしている。午前中だけ練習して帰ることもあった。ベテランで実績もあれば、開幕に合わせて独自のペースで練習すればいいということなのかな。でも、ほんとかっこよかった。
 僕としては、ずっと西武一筋でプレーしてもらいたかった。衝撃のトレード。チームの顔ともいうべき選手が簡単に移籍するなんて。今でこそ4番打者や、エースが他チームへ、または大リーグへ移籍するのが珍しくなくなったが、当時としてはあまりない大型3対3のトレードであった。
 ダイエーに移ってからはホームランが減った。球場が広いため、打ち方も変えていた。また、晩年には得意であった守備でも衰えが目立ち、8・9回には大越に交代する場面も目立った。
 2002年で引退。西武球場最後の日には、西武の選手に胴上げされていた。
 通算2189試合、打率.270、2157安打、437本塁打、1712三振は史上1位。三振記録達成の日は当時1位だった、衣笠(元広島)が球場を訪れ、アドバイスをしたなんてことも。
 僕は西武時代に3番バッターとして活躍していたときが一番好きだった。ダイエーでは主に7番を打ち、ポジションもライトに移っていた。90年シーズンオフ、清原が年棒1億円になった時、秋山は9800万円。これまでの実績などを考えたとき何で球団は差をつけたのか疑問に思った(このとき、石毛も9500万円)。本塁打王1回、盗塁王1回、勝利打点王2回、ベストナイン8回、ゴールデングラブ賞10回、オールスター17回出場、正力松太郎賞(91年)。入団はドラフト外だった。
 サインは愛用していたスケッチブックとボールにしてもらった。もちろん、殿堂。


左から
85年 bR66(ファーストカード)
85年 bS14a
85年 bS26

1986年(清原和博渡辺久信伊東勤金森永時)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆42 清原和博
西武(86@〜96)−巨人(97〜05)−オリックス(06〜08)

左から
86年 bW1(ファーストカード)
86年 bX7
86年 bP06

◆43 渡辺久信
西武(84@〜97)−ヤクルト(98)

▽84年ドラフト1位で西武ライオンズに入団。最初に注目されるようになったのは入団2年目の85年。リリーフとして活躍。8勝8敗11セーブをあげた。その後、先発に転向し、86年、88年、90年と最多勝を獲得。でも、良い時って記憶に残らないものも多く、反対にダメだったときは、後世にそれが伝えられるケースってよくあるんだよね。89年の近鉄との大事な一戦でブライアント(元 近鉄)に勝ち越し本塁打を打たれてしまった(この映像はときどきテレビでも流れるよな)。当然、私は、近鉄の荒々しいバッティングよりも、洗練されていた西武の野球のほうが好きだった。それから、97年には、ドラフト会議の翌日に解雇されてしまった。ヤクルトに移籍したときはホントに期待していた。先発ローテーションに加わって、二ケタ勝利を期待していた。サインは07年、西武の2軍インボイスで監督をしているときに埼玉浦和球場でもらった。
 08年は、1軍監督就任。開幕から好調で、首位をキープ。


左から
86年 bW5(ファーストカード)
86年 bP22
86年 bQ03

◆44 伊東勤
西武(82@〜03)

左から
86年 bP70(ファーストカード)
87年 bP94
87年 bQ97

◆45 金森永時
西武(82A〜88)−阪神(88途〜92)−ヤクルト(93〜96)

▽82年ドラフト2位で西武に入団。88年シーズン途中阪神移籍。92年ヤクルト移籍。
 西武時代はよく死球を当てられ、プロ野球珍プレー・好プレーで紹介されていた。当たったときのリアクションが大きく、話題になっていた。
 ベストナイン1回、ゴールデングラブ1回、また、オールスターに3回選出されている。
 1048試合 .270 27本塁打 239打点。
 阪神、ヤクルト時代は代打で活躍。88年ではバース退団の後、活躍を期待されたがいまいちだった。ヤクルトでは代打の切り札として活躍。95年のヤクルト優勝時には代打で大活躍。
 引退後はヤクルト、西武でコーチ。
 03年はダイエーでスカウト。04年は阪神のコーチ就任。05年からはソフトバンクのスタッフに。06年でソフトバンクを退団。07年は北信越リーグ
の石川監督に就任。NHKでは解説もするぞ。


左から
86年 bP79(ファーストカード)
87年 bQ99

1987年(辻発彦田辺徳雄)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆46 辻発彦
西武(84A〜95)−ヤクルト(96〜99)
▽84年ドラフト2位で西武入団。西武の黄金時代に活躍したセカンドプレイヤー。石毛が1番を打っているときは9番を打っていた。石毛が3番や6番を打っているときは先頭バッターでの出場が多かった。93年には首位打者を獲得。東尾監督のとき、なぜ、彼が自由契約選手になったのか疑問だった。確かに西武の最後の年だけ非常に成績が悪く、試合の終盤でよく代打を出されていたっけ。だから、ヤクルトに移籍したときは、1番かもしくは2番で活躍するものだと思っていた(結果、オマリーの前の3番で大活躍)。ヤクルトに移籍して1年目には、また、3割をマークし、復活して見せた。あと一歩で、両リーグでの首位打者獲得だった(2位だった)。野村監督がよく言っていたけど意外とバントが下手だったようだ。だけど、次の監督は辻だとも言っていた(野村監督好みの選手だったのだろう)。いろいろ書いたが、一番の特記事項は守備のうまさ。ゴールデングラブ賞8回と守備の達人。
 巨人との日本シリーズでの出来事、ランナー1塁辻、次打者の打ったセンター前ヒットで1塁から見事に生還したのは有名な話(そのときのセンターはクロマティ)。サインは99年に神
宮球場横で。


左から
87年 bQ08(ファーストカード)
87年 bQ98

◆47 田辺徳雄
西武(85A〜99)−巨人(00)
▽85年ドラフト2位で西武ライオンズ入団。80年代中盤から90年代、西武の強い頃に遊撃手として活躍。首位打者争いをすることもあり、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞2回は少ないような気がする。なぜか、最後の年はジャイアンツに移籍。予想通り、ほとんど活躍できなかった。最後の1〜2年をジャイアンツで過ごすってどういう心境なんだろう。私には不満だった。
 サインは06年、2軍のコーチをしているときにもらった。 07年は2軍総合コーチ。08
年は守備走塁コーチ。


87年 bQ22(ファーストカード)

1988年(平野謙バンバークレオ)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆48 平野謙
中日(78外〜87)−西武(88〜93)−ロッテ(94〜96)
 西武の一番強いときに、外野手として活躍した。中日は何で、小野との交換で平野を出したんだろうと当時不思議に思った。中日時代には、盗塁王を獲得。中日、西武時代を含め、ゴールデングラブ賞の常連だった。また、ファミスタでも当時走力が17あり、重宝して使った。
 西武時代には最高の2番バッター。1番石毛、2番平野、3番秋山、4番清原、5番バークレオ、6番安部、7番伊東、8番田辺、9番辻っていうオーダーが私の一番好きなライオンズの打順。93年の日本シリーズで、何かいまいちパッとせず、大塚に代わったりしていたから悪い予感があったんだけれど、その年限りで西武を退団し、ロッテに移籍。西武黄金期を支えた名選手が、年棒が半分の5000万円になってしまい移籍するというのは私の中では衝撃だった。
 サインはロッテの2軍監督のときにもらった。06年からは、日ハムで1軍外野守備走塁コーチを任されている。08年、梨田監督就任後、打撃コーチに配置転換。


左から
88年 bW2(西武移籍後最初のカード)
88年 bQ39

◆49 バンバークレオ
西武(88〜90)
−広島(91)

左から
88年 bP54(ファーストカード)
88年 bQ03

1989年(
森山良二)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

西武(87@〜92)
−横浜(93〜95)
◆50 森山良二

89年 bQ0(ファーストカード)


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