プロ野球カードを語る

東京ヤクルトスワローズ

 1


90年(
笘篠賢治内藤尚行)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 チームは、5位。ヤクルトへの思い入れが強くなったのは、この年から。野村監督が就任し、ID野球を掲げて戦った。
 個人成績に目を移すと、広沢、池山、角が打撃10傑の3位、8位、10位。防御率では、宮本が6位。

◆47 笘篠賢治
ヤクルト(89〜97)
−広島(98〜99)
628試合 418安打 19本塁打 105打点 79盗塁 打率.254
新人王

90年 bT1(ファーストカード)

◆48 内藤尚行
ヤクルト(87〜94)
−ロッテ(95〜96)−中日(96〜97)
195試合 36勝 29敗 26S 防御率3.96

左から
90年 bU5(ファーストカード)
91年 bR1 
91年 bQ00

91年(
西村龍次古田敦也川崎憲次郎)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 野村監督の就任2年目。チームは3位。打撃部門では、2年目の古田が首位打者。広沢が打点王。レイが打率で、ベスト10の10位に入った。個人投手成績では、西村、川崎が4位と6位。

◆49 西村龍次
ヤクルト(90〜94)
−近鉄(95〜96)−ダイエー(97〜01)
205試合 75勝 68敗 2S 防御率3.76
最優秀バッテリー賞 オールスター2回 カムバック賞

左から
91年 bT0(ファーストカード)
92年 bQ7
92年 bP15

◆50 古田敦也
ヤクルト(90〜07)

2008試合 2097安打 217本塁打 1009打点 70盗塁 打率.294
MVP2回 首位打者1回 ベストナイン9回 ゴールデングラブ10回 正力松太郎賞1回
日本シリーズMVP2回 月間MVP4回 JCB・MEP賞1回 最優秀バッテリー賞6回
最優秀バッテリー特別賞1回 セ・リーグ会長特別賞 セ・リーグ特別功労賞
オールスター17回 オールスターMVP2回
 ヤクルトというよりも、日本プロ野球を代表するキャッチャー。彼がヤクルトに入団してから、チームが変わった。野村克也氏が監督になったときに、ドラフト2位で、ヤクルト入団。当時、ヤクルトには、飯田、君波、八重樫、中西、秦、野口と捕手がいたが、結局は、新人古田がレギュラーを獲得。当時、村山氏(元阪神監督)は、よくテレビで解説をしているとき、『ホントは古田を指名したたかったが、フロントの反対にあった』と、悔しそうに話していたっけ。以後、現在に至る。94年はリーグ3連覇を期待していたが、骨折し4位に。悔しい思いをした。
 06年からプレイングマネージャー。野村克也(前 楽天監督)以来のことで、マスコミにも大いに注目されていた。サインは99年シーズン途中、神宮球場横でもらった。


左から
91年 bP32(ファーストカード)
91年 bP59
92年 bS8

◆51 川崎憲次郎
ヤクルト(89〜00)
−中日(01〜04)
237試合 88勝 81敗 2S 防御率3.69
沢村賞1回 最多勝1回 カムバック賞 日本シリーズMVP オールスター4回

左から
91年 bP43(ファーストカード)
92年 bQ6
92年 bP14

92年(
飯田哲也加藤博人岡林洋一秦真司レイ)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆52 飯田哲也
ヤクルト(87〜04)
−楽天(05〜06)
1505試合 1248安打 48本塁打 363打点 234盗塁 打率.273
盗塁王1回 ベストナイン1回 ゴールデングラブ賞7回
▽87年ドラフト4位でヤクルト入団。入団時は捕手で、背番号も58だった。野村監督就任の頃から1軍に定着。90年開幕時、笘篠の不調からセカンドを急に守ることになった。翌年は、外野へコンバート。それから、攻守飯田が誕生した。ヤクルトで1番好きな選手でTシャツまで何着か買ってしまった。04年はケガもあって、ついに3試合の出場に留まる。楽天での活躍を期待していた。オープン戦の初戦でも1番バッターで初ヒット。開幕もスタメンだったが…。06年で引退。私の大好きな選手の一人だった。「キャッチャー、センター、セカンド、どこでも守れる…」ってライトスタンドで何度歌ったことか。
 サインは07年、ヤクルト2軍守備走塁コーチに就任してからもらった。08年は1軍の守備・走塁コーチ。 08年の交流戦開幕ゲームでは、始球式を務めた渡辺久(西武監督)の球を打ち返したぞ。

左から
92年 bU4(ファーストカード)
94年 C30
95年 bQ6

◆53 加藤博人
ヤクルト(88〜00)
−近鉄(01)
266試合 27勝 38敗 8S 防御率3.85

92年 bU5(ファーストカード)

◆54 岡林洋一
ヤクルト(91〜00)

175試合 53勝 39敗 12S 防御率3.51
オールスター3回
▽91年ドラフト1位で、ヤクルト入団。いきなり新人の年から先発に、抑えに大活躍(12勝12セーブ)。長年、チームはBクラスだったが、彼の活躍で、3位になった。印象に残った登板と言えば、92年の西武との日本シリーズ、シリーズ初登板完投勝利で、13回を一人で投げきったこと。でも、シリーズ終了翌日、スポーツ新聞の一面を、貴乃花・宮沢りえ婚約に取られたっけ(まったく、ふざけた相撲界だ)。入団したとき、パラグアイにいたことがあったということで、話題になったっけ。
 引退後は、コーチを4年。05年は、スカウトに転向。


左から
92年 bU6(ファーストカード)
92年 bP13
93年 bQ8

◆55 秦真司
ヤクルト(85〜98)
−日ハム(99)−ロッテ(00)
1182試合 732安打 97本塁打 341打点 31盗塁 打率.262
オールスター1回

92年 bU7(ファーストカード)

◆56 ジョニー・レイ
ヤクルト(91〜92)

159試合 153安打 13本塁打 64打点 0盗塁 打率.269

92年 bP95(ファーストカード)

93年(
ハウエル)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆57 ジャック・ハウエル
ヤクルト(92〜94)
−巨人(95)
405試合 397安打 100本塁打 272打点 11盗塁 打率.291

左から
93年 bQ9(ファーストカード)
94年 bP02

94年(
城友博伊藤智仁高津臣吾)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆58 城友博
ヤクルト(88〜98)
−阪神(99)
362試合 170安打 2本塁打 41打点 38盗塁 打率.243

94年 bX1(ファーストカード)

◆59 伊藤智仁
ヤクルト(93〜01)

127試合 37勝 27敗 25S 防御率2.31
新人王 カムバック賞
▽93年ドラフト1位。当時の物理学概論のテキストに、その頃の先発ローテーションがメモってあるのだが、伊東、西村、川崎、山田とこの伊藤智が、空きページに書いてあった。4月、初登板完投勝利。6月には、堀内(元巨人)以来という、新人月間3完封。6月の巨人戦では、セ・リーグタイ記録の16奪三振(達成した直後に篠塚にホームランを打たれ敗戦投手に。だけど、このシーンがよく流れるんだよな。ほんと)。前半戦だけで7勝(2敗) 防御率0.91 で、新人王。しかし、その後の野球人生は、ケガとの戦いだった。94年、95年は登板できなかった。復活したのは97年、このときもやってくれた。野村監督との話し合いで、リリーフを任される。なぜか、この年、リリーバーの高津が調子が悪く、先発したり、中継ぎしたりしていてちょうどよかったのだが、伊藤の活躍で、見事優勝した。特に、私が一番記憶に残っている場面は、開幕直後の巨人戦。9回をピシャリと抑えるのだが、代打吉村、井上と連続三振。(井上はインコースに外れると思ってのけぞったボールが、見事ストライクゾーンへと入ってきて呆然と見送り三振のシーンは、今でもビデオで見る)ただ、このときも、シーズン後半は、肩に違和感があるということで投げていない。
 99年、00年と各8勝したが、それ以降は投げることさえできなくなってしまった。
 03年に引退したのだが、最後の登板がテレビでやっていた(Get Sports)。2軍の試合で、ストレートが109`しか出なかった。涙が出たね。また、戸田でも、埼玉浦和でも懸命にリハビリしている姿をよく見たよ。04年からコーチ。サインはいつも書いてくれたな。
 08年から1軍投手コーチに。


左から
94年 bX8(ファーストカード)
97年 bP83
98年 bS0(初版)

◆60 高津臣吾
ヤクルト(91〜03)−ヤクルト(06〜07)

598試合 36勝 46敗 286S 防御率3.20
最優秀救援投手4回 月間MVP1回 ファイアマン賞3回 セ・リーグ会長特別賞1回
▽91年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。以後、球界を代表するストッパーに成長。04年にはホワイトソックスに移籍。シーズン開幕当初は中継ぎであったが、次第に大事な場面で抑えとして起用されるようになり、結果、6勝4敗19セーブを記録した。2年目以降は、打ち込まれることが多く、05年で大リーグ球団からは退団する。06年にスワローズに復帰したが2年で解雇。私としては、とても複雑な気持ちでいた。というか、彼が06年に復帰することに反対していたっけ。その後、韓国、台湾、日本の独立リーグで活躍中。

左から
94年 bX9(ファーストカード)
95年 bQ3
95年 C46

95年(
オマリー野村克也)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆61 トーマス・オマリー
阪神(91〜94)−
ヤクルト(95〜96)
742試合 820安打 123本塁打 488打点 15盗塁 打率.315
MVP1回 首位打者1回 ゴールデングラブ賞1回 ベストナイン1回 最高出塁率4回
最多勝利打点2回

左から
95年 bW9(ヤクルト移籍後最初のカード)
96年 bP2
96年 bX1

◆62 野村克也
南海(54〜77)−ロッテ(78)−西武(79〜80)−
ヤクルト(90〜98)−阪神(99〜01)−楽天(06〜09)(ただし、監督としての経歴を含む)
3017試合 2901安打 657本塁打 1988打点 117盗塁 打率.277
MVP5回 三冠王1回 首位打者1回 本塁打王9回 打点王7回 ベストナイン19回
ダイヤモンドグラブ賞1回 野球殿堂入り 正力松太郎賞 オールスター22回
監督として
3204試合 1565勝 1563敗 76引分 勝率.5003
▽私は彼の現役時代を知らない。最初の記憶と思われるのは、テレビ朝日の解説者として「野村スコープ」を使って、画面上で配給を詳しく説明している様子だ。
 90年にヤクルト監督就任。92年、93年、97年とセリーグ制覇。うち、3度日本一を達成。就任した年は5位。ヤクルトファンの当時の私としては「どうして池山が8番打つの? どうして栗山や笘篠を使わないの? 一茂をもっと使って欲しいな」と不満があった。前任の関根監督が自由に指揮していたのと違い、理詰めでいく采配に疑問を持ったこともあった。しかし、この年以降の強いスワローズをつくりあげたのは彼の功績。なんといってもはじめのドラフトで古田、西村を獲得したのはかなり大きかった。就任したときのキャンプは、捕手の適正を調べた。当時は、八重樫、秦、君波、飯田、古田、中西、野口といたが、開幕は秦、次第に古田の出番が増えた。また、開幕投手は内藤だったが、篠塚からライトポール際に疑惑のホームランを打たれ、悔しい敗戦。90年は結果5位と低迷したが、その後につながる選手起用をしていたんだなと後で分かった。飯田、秦の捕手から野手へのコンバート、西村、川崎、加藤、山田、内藤といった、若手投手を先発に起用。92年、93年はほぼ固定メンバーで戦うことができた。広沢を軸に、池山、ハウエル、秦、古田、荒井と強力打線。日本シリーズも西武ライオンズに勝って見事日本一。私は大学の生協でこの瞬間を確認することができた(ちなみに、92年のシリーズは駅前のマキヤのテレビで見ていた)。94年は3連覇がかかっていたが、開幕早々古田がリタイア。結局4位。95年はもうファンをやめようと思ったくらい開幕前から戦力に不安があった。前年まで4番、5番を打っていた広沢、ハウエルが巨人に移籍。代わりに阪神、ロッテからオマリー、ミューレンを獲得。期待はできなかった。長身のブロスなんて、ユマキャンプでのテスト合格で、選手名鑑にも間に合わなく載っていないので、こちらも同様、期待はできなかった。西村は開幕直前にトレードで近鉄に行っちゃうし、古田もオープン戦で骨折。いいことがまるでなかった。開幕試合は巨人の斎藤雅に完封負け。しかし、翌日、先発桑田が完投勝利ペースだったが飯田に頭部死球を与え、危険球退場になってからスワローズに勢いが出てきた(と私は思っている)。結局新外国人の大活躍で優勝。この3人がフェンスに登ってファンの声援にこたえていた姿が思い出される。97年のシーズン前は95年と似ていた。が開幕戦で広島から移籍の小早川の3打席連続ホームランでその勢いのまま優勝。阪神の監督になってからはさまざまな話題は提供するものの連続最下位。でも、私の中では弱小チームを率いて3度の日本一は素晴らしいと思った。最高の監督だ。
 06年は楽天の監督に就任。とにかく、私は彼の意地が見たい。もっと意見を言うと、3位になって、プレーオフに進出し、パリーグで優勝。そして、日本一になっ
てほしい。結局、09年で勇退。現場復帰を望む。


左から
95年 C8(ゴールド版)(ヤクルト監督時最初のカード)
95年 C8(通常版)
95年 C36(通常版)

96年(
稲葉篤紀ブロス土橋勝征)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆63 稲葉篤紀
ヤクルト(95〜04)
−日ハム(05〜)
1814試合 1842安打 233本塁打 899打点 70盗塁 打率.292
首位打者1回 最多安打1回 ベストナイン5回 ゴールデングラブ賞4回 オールスター6回
日本シリーズMVP1回 スピードアップ賞2回 月間MVP3回 サイクル安打1回
▽プロ野球選手を見て、ほんとにかっこいいと思ったのは、秋山(西武→ダイエー)と、この稲葉だな。95年シーズン中盤から1軍昇格。いきなりその日にスタメン出場して活躍。以後、レギュラーへ。当時の監督(野村克也 当時明大)が息子の試合を見に行ったとき、敵チームで活躍していたもんだからドラフト指名したって言っていた。結局、その年、それまでレギュラーだった荒井を追い出すかたちで(近鉄移籍)、外野の一角を獲得。
 まだ入団したばかりのこと、2番バッターでネクストバッターサークルにいた稲葉は、軽い素振りをしていた。1番の飯田がデッドボールを受けてうずくまり、たくさんの選手が心配してベンチから飛び出し、飯田の周りに集まってきてたのに、この稲葉だけは平然と何事も無かったようにバッターボックスへ向かったのを記憶している。
 99年彼は、ケガをしていて、一時、2軍で調整をしていたときがあった。私はよく、埼玉浦和球場へ足を運んだのだが、試合が終わって球場を出ようとした彼に多くの野球ファンが、取り囲んだ。しかし、彼は嫌な顔一つせずに、みんなにサインを書いたり、写真を撮ってあげたりしていた。00年のシーズン中(7月の巨人戦)のこと。私は、試合開始ぎりぎりに球場に入った(指定席だったので、周りは誰もいない場所)。試合開始前、ヤクルトはファンサービスでサインボールを観客に向かって投げるのだが、ライトの守備位置についた彼に向かって手を振ったら、優しいボールを私に向かって投げてくれた。で、見事キャッチ(ただ、そのサインボールは古田のだった)。

 05年FA宣言して、日本ハムへ。背番号は58だった。また、私はショックを受けたのだが、新天地でも活躍してもらいたいと願った。
 もう、日本ハムの顔というべき存在になったなぁ。08年は4番。長打力はないかもしれないが十分な活躍をして
いる。


左から
96年 bX2(ファーストカード)
97年 bV8
97年 bQ12

◆64 テリー・ブロス
ヤクルト(95〜97)
−西武(98)
89試合 30勝 29敗 0S 防御率3.71
最優秀防御率1回 日本シリーズ最優秀選手1回 最優秀バッテリー1回
ノーヒットノーラン1回

左から
96年 bX3(ファーストカード)
97年 bQ0

◆65 土橋勝征
ヤクルト(87〜06)

1464試合 1121安打 79本塁打 427打点 35盗塁 打率.266
オールスター1回
▽ホントに地味だが確実に勝利に貢献する選手だ。87年ドラフト2位入団。徐々に1軍レギュラーに育っていった。95年のヤクルト優勝時には3番を打ち、大活躍。当時からチャンスに強かった。野村監督好みの選手で、以後セカンドのポジションを守っている。三木、城石と若手がこの土橋を脅かす存在にはなっていないようである。04年も規定打席不足ながら3割をマーク、103安打を放った。1000本安打も達成している。06年で引退。07年は2軍の守備・走塁コーチ。08年は2軍打撃コーチに。

左から
96年 bX4(ファーストカード)
97年 bP02
97年 E20


97年(
辻発彦吉井理人田畑一也ホージー)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆66 辻発彦
西武(84〜95)−
ヤクルト(96〜99)
1562試合 1462安打 56本塁打 510打点 242盗塁 打率.282
首位打者1回 最高出塁率1回 ゴールデングラブ賞8回 ベストナイン5回 
オールスター9回
▽84年ドラフト2位で西武入団。西武の黄金時代に活躍したセカンドプレイヤー。石毛が1番を打っているときは9番を打っていた。石毛が3番や6番を打っているときは先頭バッターでの出場が多かった。93年には首位打者を獲得。東尾監督のとき、なぜ、彼が自由契約選手になったのか疑問だった。確かに西武の最後の年だけ非常に成績が悪く、試合の終盤でよく代打を出されていたっけ。だから、ヤクルトに移籍したときは、1番かもしくは2番で活躍するものだと思っていた(オマリーの前の3番で大活躍)。ヤクルトに移籍して1年目には、また、3割をマークし、復活して見せた。あと一歩で、両リーグでの首位打者獲得だった(2位だった)。野村監督がよく言っていたけど意外とバントが下手だったようだ。だけど、次の監督は辻だとも言っていた(野村監督好みの選手だったのだろう)。いろいろ書いたが、一番の特記事項は守備のうまさ。ゴールデングラブ賞8回と守備の達人。
 巨人との日本シリーズでの出来事、ランナー1塁辻、次打者の打ったセンター前ヒットで1塁から見事に生還したのは有名な話(そのときのセンターはクロマティ)。サインは99年に神
宮球場横で。


左から
97年 bS4(ヤクルト移籍後最初のカード)
97年 bP93

◆67 吉井理人
近鉄(84〜94)−
ヤクルト(95〜97)−オリックス(03〜07)−ロッテ(07)
162試合 89勝 82敗 62S 防御率3.86
最優秀救援投手1回 月間MVP2回 オールスター5回
▽近鉄時代は、リリーフエースとして活躍。最優秀救援投手賞も獲得した。
 95年開幕直前になって、ヤクルトに移籍(西村とのトレード)。このときは、私は西村が好きだったもんで、大変がっかりしたのを覚えている。4年連続二ケタ勝利をマークしている西村をなぜ放出するのか? 鈴木監督の下で、くすぶっていた吉井を、野村監督は再生させられるのか? ヤクルトファンをやめようかとも思った。が、移籍してきた吉井は、その後、大リーグに挑戦するまでの間、先発ローテーションとして、活躍した。97年にはシーズン胴上げ投手にもなった。
 残念なことに、97年でヤクルト退団。大リーグでもそれなりに活躍、話題も提供した。
 投球している最中、雷が怖くてマウンドを降りたことがあったっけ。それから、目にレーダー光線を当てられたという理由で、降板したこともあったな。
 07年シーズン途中、ロッテに移籍。このときは、ちょっとわがままな気がした。結局、先発はさせてもらうものの、ほとんど活躍できずに引退。
 08年から日ハムで1軍投手コーチ。バレンタイン監督、ロッテ球団の粋な計らいで、1年も在籍していない
ロッテ球団主催試合の始球式を行った。


97年 bP16(ヤクルト移籍後最初のカード)

◆68 田畑一也
ダイエー(92〜95)−
ヤクルト(96〜99)−近鉄(00)−巨人(01〜02)
166試合 37勝 36敗 1S 防御率4.14
オールスター2回

左から
97年 bP37(ファーストカード)
97年 bP62
98年 bV5

◆69 ホージー
ヤクルト(97〜98)

244試合 218安打 51本塁打 142打点 24盗塁 打率.267
▽97年にヤクルト入団。96年にオマリーが退団し、その代りの助っ人として活躍が期待された。しかし、キャンプ、オープン戦を通じて評判は悪く、「ヤクルトファンの私には、今年はもう駄目だ」って感じるぐらい酷かった。しかし、シーズン開幕後は7番に定着すると本塁打を量産し、優勝に貢献。自身も本塁打王になった。

左から
97年 bP45(ファーストカード)
98年 bS(初版)
98年 bS(2版)

98年(
石井一久)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆70 石井一久
ヤクルト(92〜01)
ヤクルト(06〜07)−西武(08〜)
365試合 127勝 88敗 1S 防御率3.60
最多奪三振2回 最優秀防御率1回 最高勝率1回 月間MVP2回
▽92年にドラフト1位で、ヤクルト入団。速球派投手として、ヤクルトの優勝に貢献。日本では、10年間に78勝46敗1セーブ。97年には、優勝争いを演じていた横浜戦で、ノーヒットノーランを記録。野球だけでなく、様々な話題を提供してくれた。現在は、ドジャースの先発として、活躍中。04年は、13勝(8敗)、でも、後半戦は打ち込まれることが多かった。
 サインは、99年シーズン終了後のクラブハウス前でもらった。06年ヤクルト復帰。先発として期待。直球は減ったけど、変化球で勝負。
 08年ライオンズに移籍。前半戦は絶好調。チームでは勝ち星トップとして若手を引っ張っている。

左から
98年 bR9(初版)(ファーストカード)
98年 bR9(2版)
98年 S13

99年(真中満
高橋智M・スミスR・ペタジーニ)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆71 真中満
ヤクルト(93〜08)
▽93年ドラフト3位で、ヤクルトに入団。私は、選手名鑑を見て、いつも不思議に思っていたのが、身長の欄。170センチと書いてあったけど、私より低かった。97年までは、レギュラーとはいえないが、それなりに1番や2番バッターとして活躍していた。が、97年のシリーズ前に飯田が怪我をして、そこからレギュラーになっていったように思う。守備位置も最初はレフトが多かったが、センターを守ることが徐々に増える。サインは99年、神宮球場で書いてもらった。
 08年は5月に登録を抹消された。厳しいシーズン
だ。

 11年より、2軍監督を任されている。

左から
99年 bQ8(ファーストカード)
99年 bQ31

◆72 高橋智
阪急・オリックス(85〜98)−ヤクルト(99〜01)

左から
99年 bX9(ヤクルト移籍後最初のカード)
99年 bP73

◆73 M・スミス
ヤクルト(99)

99年 bP69(ファーストカード)

◆74 R・ペタジーニ
ヤクルト(99〜02)−巨人(03〜04)−福岡(10)

左から
99年 bQ30(ファーストカード)
00年 B6


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